2006 教会のこよみ B年

/

  
王であるキリスト(11/26
見よ、その方が雲に乗って来られる。
すべての人の目が彼を仰ぎ見る、
ことに、彼を突き刺した者どもは。
地上の諸民族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。

神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる方、全能者がこう言われる。「わたしはアルファであり、オメガである。」(黙示録 1・7-8)

  
Christ as the Man of Sorrows(Geertgen tot Sint Jans)
年間第33主日(11/19

すべての祭司は、毎日礼拝を献(ささ)げるために立ち、決して罪を除くことのできない同じいけにえを、繰り返して献げます。しかしキリストは、罪のために唯一のいけにえを献げて、永遠に神の右の座に着き、その後(あと)は、敵どもが御自分の足台となってしまうまで、待ち続けておられるのです。なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。

罪と不法の赦(ゆる)しがある以上、罪を贖(あがな)うための供え物は、もはや必要ではありません(ヘブライ10・11-14,18)

  
年間第32主日(11/12
イエスは賽銭箱(さいせんばこ)の向かいに座って、群衆がそれに金を入れる様子を見ておられた。大勢の金持ちがたくさん入れていた。ところが、一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚、すなわち一クァドランスを入れた。イエスは、弟子たちを呼び寄せて言われた。「はっきり言っておく。この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏(とぼ)しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである。」(マルコ12・41-44)
   
年間第31主日(11/5
モーセは民に言った。イスラエルよ、あなたはよく聞いて、忠実に行いなさい。そうすれば、あなたは幸いを得、父祖(ふそ)の神、主が約束されたとおり、乳と蜜(みつ)の流れる土地で大いに増える。

聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。(申命記6・3-5)

   
年間第30主日(10/29
イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」
盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。
イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。
そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。
(マルコ10・49-52)

   
年間第29主日(10/22
あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、 いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。

人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」(マルコ10・44b-45)

  
年間第28主日(10/15)
イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
(マルコ10・23-27)
   
年間第27主日(10/8)
イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱(しか)った。しかし、イエスはこれを見て憤(いきどお)り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。(マルコ 10・13-16)
   
年間第26主日(10/1)
〔そのとき、〕ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊(あくれい)を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口(わるくち)は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。(マルコ 9・38-41)

   
年間第25主日(9/24)
一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後(あと)になり、すべての人に仕える者になりなさい。」そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」(マルコ9・30-37)
   
年間第24主日(9/17)
それから〔イエスは〕、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後(あと)に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8:34-35)
         

年間第23主日(9/10)
心おののく人々に言え。
「雄々(おお)しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」

そのとき、見えない人の目が開(ひら)き、
聞こえない人の耳が開く。
そのとき、歩けなかった人が鹿(しか)のように躍(おど)り上がる。
口の利(き)けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧(わ)きいで
荒れ地に川が流れる。
熱した砂地(すなじ)は湖となり、
乾いた地は水の湧くところとなる。
(イザヤ35・4-7a)

   

年間第22主日(9/3)
心に植え付けられ御た言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。
(ヤコブ1・21b-22)


         
年間第21主日(8/27)
そのとき、弟子たちの多くの者はイエスの話を聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」 イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上(のぼ)るのを見るならば……。命を与えるのは“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」(ヨハネ6・60-64a)

   
年間第20主日(8/20)
そのとき、イエスはユダヤ人に言われた。「わたしは、天から降(くだ)って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。
わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

(ヨハネ6・51)

   
聖母の被昇天(8/15)
そこで、マリアは言った。
「わたしの魂は主をあがめ、
わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。
その御名は尊く、
その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、
アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」
(ルカ1・46-54)
   

年間第19主日(8/13)
〔皆さん、〕神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。
互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。
あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。
(エフェソ4・30-5・1)

   
主の変容(8/6)

愛する皆さん、わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨(らいりん)を知らせるのに、わたしたちは巧(たく)みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。荘厳(そうごん)な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適(かな)う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。 (2ペトロ  1・16-18)

   
年間第17主日(7/30)
そのとき、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。

弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑(くず)を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠(かご)がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。(ヨハネ6・1、8−13)

   
年間第16主日(7/23) 

見よ、このような日が来る、と主は言われる。
わたしはダビデのために正しい若枝(わかえだ)を起こす。
王は治め、栄え
この国に正義と恵みの業(わざ)を行う。
彼の代(よ)にユダは救われ
イスラエルは安らかに住む。
彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。(
エレミヤ 23・5-6)

  
年間第15主日(7/16)
そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして「下着は二枚着てはならない」と命じられた。また、こうも言われた。「どこでも、ある家に入ったら、その土地から旅立つときまで、その家にとどまりなさい。しかし、あなたがたを迎え入れず、あなたがたに耳を傾けようともしない所があったら、そこを出ていくとき、彼らへの証しとして足の裏の埃を払い落としなさい。」 十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。(マルコ6・7-12)
  
年間第14主日(7/9)
〔そのとき、〕イエスは故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日(あんそくび)になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。(マルコ6:1-3)
 

年間第13主日(7/2)
神が死を造られたわけではなく、
命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。
生かすためにこそ神は万物をお造りになった。
世にある造られた物は価値がある。
滅びをもたらす毒はその中になく、
陰府(よみ)がこの世を支配することもない。
義は不滅である。

神は人間を不滅な者として創造し、
御自分の本性(ほんせい)の似姿として造られた。
悪魔のねたみによって死がこの世に入り、
悪魔の仲間に属する者が死を味わうのである。
(知恵の書 1:13-15,2:23-24)

 
年間第12主日(6/25)
〔皆さん、〕キリストの愛がわたしたちを駆り立ててい〔ます。〕わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。(2コリント 5・14-15)
 
キリストの聖体(6/18)
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」

また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。

そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。(マルコ 14・22-24)

 
デューラー:三位一体(部分) 三位一体の主日(6/11) 
イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切(いっさい)の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・18ー20)
 
ジョット:聖霊降臨(部分) 聖霊降臨の主日(6/4)
霊の導きに従って歩みなさい。

霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制です。

わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
(ガラテア5・16-25より抜粋)

 
ジョット 主の昇天 1304-6 主の昇天(5/28)
イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。
(使徒言行録1・7−9)


 
復活節第6主日(5/21)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。(1 ヨハネ  4・7-10)

 
復活節第5主日(5/14)
〔そのとき、イエスは弟子たちに言われた。〕「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
(ヨハネ15・1-5)
 
復活節第4主日(5/7)
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟(おきて)である。」(ヨハネ10・14-18)
 
教会の花壇 復活節第3主日(4/30)
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、わたしたちの先祖の神は、その僕イエスに栄光をお与えになりました。ところが、あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。 聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。
あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。
(使徒言行録3・13-15)
 
CARAVAGGIO The Incredulity of Saint Thomas 1601-02 復活節第2主日(4/23)
さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。

それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20・26-29)

 
ジョット 主の復活(4/16)
  週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」

そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。

イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。(ヨハネ20・1-9)

/
聖土曜日・復活の聖なる徹夜祭(4/15)
 
〔皆さん、〕あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。(ローマ6・3-5)

/
聖金曜日・主の受難(4/14)
 
そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。

イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。

イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。(ヨハネ19・16-20)

 
ジョット 聖木曜日・主の晩さん(4/13)
 
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。

イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。 ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。 そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」 イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。

さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席に着いて言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは正しい。わたしはそうである。
ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。
(ヨハネ13・5-15)

/
受難の主日・枝の主日(4/9)
 
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え 
疲れた人を励ますように 
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし 
弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。 
わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ 
ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。 
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから 
わたしはそれを嘲りとは思わない。 
わたしは顔を硬い石のようにする。 
わたしは知っている 
わたしが辱められることはない、と。
(イザヤ50・4-7)
/
四旬節第5主日(4/2)
 
〔皆さん、わたしは、〕わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、 キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。 わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、 何とかして死者の中からの復活に達したいのです。(フィリピ3・8-11)
/
四旬節第4主日(3/26)
 
〔皆さん、〕 憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです―― キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。それは、だれも誇ることがないためなのです。 なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。(エフェソ2・4-10)
/
四旬節第3主日(3/19)
 
その日、神はこれらすべての言葉を告げられた。

 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。(出エジプト 20:1-5a)

/
四旬節第2主日(3/12)
 
〔そのとき、〕イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。 エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。 すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」 弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。(マルコ:9:2-8)

/
四旬節第1主日(3/5)
 そのとき、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

 ヨハネが捕らえられた後(のち)、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣(の)べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ:1:12-15)

/
灰の水曜日(3/1)
 
キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。 なぜなら、
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。
救いの日に、わたしはあなたを助けた」
と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
(2コリント5:20b-6:2)

/
年間第8主日(2/26)
 
〔そのとき、〕ヨハネの弟子たちとファリサイ派の人々は、断食していた。そこで、人々はイエスのところに来て言った。「ヨハネの弟子たちとファリサイ派の弟子たちは断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか。」 イエスは言われた。「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。花婿が一緒にいるかぎり、断食はできない。 しかし、花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる。
(マルコ2:18-20)

/
年間第7主日(2/19)
  
イエスが御言葉(みことば)を語っておられると、四人の男が中風(ちゅうぶ)の人を運んで来た。しかし、群衆に阻(はば)まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床(とこ)をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦(ゆる)される」と言われた。
(マルコ1:40-42)
/
年間第6主日(2/12)
 
そのとき、重い皮膚病を患(わずら)っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心(みこころ)ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐(あわ)れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。(マルコ1:40-42)

/

年間第5主日(2/5)
 
〔そのとき、イエスは〕会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。(マルコ1:29-31)


/

年間第4主日(1/29)
 
イエスは、安息日(あんそくび)にカファルナウムの会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。(マルコ1:21-22)

/

年間第3主日(1/22)
 
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇(やと)い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。(マルコ1:16-20)

/

年間第2主日(1/15)
 そのとき、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。(ヨハネ1:35-42)

/

主の洗礼(1/9)
 
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩(はと)のように御自分に降(くだ)って来るのを、御覧になった。すると、
「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者」という声が、天から聞こえた。
(マルコ1・9〜11)

/

主の公現(1/8)
 
〔エルサレムよ、〕起きよ、光を放て。
あなたを照らす光は昇り
主の栄光はあなたの上に輝く。

見よ、闇は地を覆い
暗黒が国々を包んでいる。
しかし、あなたの上には主が輝き出で
主の栄光があなたの上に現れる。

国々はあなたを照らす光に向かい
王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。
(イザヤ60・1〜3)

/

神の母聖マリア(1/1)
 
〔そのとき、羊飼いたちは〕急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉おけに寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
その光景を見て、〔彼らは、〕この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
(ルカ2・16〜19)

 

2007 教会のこよみ C年


「ゆりがおか」トップページへ戻る