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カトリック横浜教区報50号(2004年7月号)より抜粋
横浜教区典礼委員会では、教区長の試用認可をもって『ミサのない主日 集会祭儀式次第』を2004年1月15日に発行しました。横浜教区、とくに神奈川県では、まだその必要性が十分に認識されていないかもしれませんが、すでにいろいろな地域で、主日に、小教区においてミサが行われない、という状況が生まれています。(中略)横浜教区典礼委員会では、次の点に留意して、『集会祭儀の式次第』を作りました。
1. 使いやすいものにする。
2. ミサの代わりであるという印象を与えない。
3. 賛美と感謝の祈りを中心にすえる。
4. 皆で参加できるものにする。
以上の点に考慮しながら作りましたが、これはあくまでも「例示」であることを言い添えておきます。主任司祭とよく相談し、工夫して、よりよいものを作ってください。
この作業をしながら、委員会として強く意識するようになったのは、「主日に集うこと」の大切さです。使徒言行録20章に「週の初めの日、私たちがパンを裂くために集まっていると…」とあり、12使徒の教えにも「主の日に集まって、パンをささげなさい」とあります。このように主日は、年一度祝われる復活祭が生まれる前に、はやくから信者が集まって、主の復活を記念し、復活された主と出会う日になっていました。主日のミサの中で、復活された主は、約束通り集いの中に、朗読されるみ言葉の中に、そして、裂かれ食される聖体の中に現存してくださいます。(中略)
主日に司祭が不在で、ミサが捧げられなくても、共同体が主の名のもとに集うならば、そこに復活された主がおられます。また、聖書が朗読される時、み言葉の中にも主はおられます。(中略)
もちろん、『主日の集会祭儀』はミサではありません。またミサに代わるものでもありません。残念ながらミサを持てないとき、復活された主に出会うために、主の日に集まり、み言葉を聞き、司祭不在のために聖変化は行われなくても、ミサに憧れながら、聖体奉仕者の助けをかりて、ミサとの関わりの中で聖体をいただくことができます。その上で、新たな一週間に向けて生活の場に派遣されていく時、その集いは、次の主日のミサを待ち望みながら、一週間をみ言葉とともに、また内にいただいた主とともに、人々と出会って生きることができるでしょう。(教区典礼委員会)
*百合ヶ丘教会では『ミサのない主日 集会祭儀式次第』を200部用意いたします。
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