2010年8月・デュポン神父様訪問の写真

写真は8月にデュポン神父様を訪ねた島田さんからいただきました


修道院の中に宣教地で殉職した神父様達の祭壇があります。
ボアベール神父のお名前を指差されています。


デュポン神父様にモントリオールを案内してもらいました。
足は少し弱って補助的に杖を使っていましたが、毎日1時間
(30分2回)の散歩を日課としているそうです。







トゥ神父様の百合ヶ丘教会での初ミサに寄せて


主の平安!
百合ヶ丘教会で18日に行われましたトゥ神父様初ミサとべトナムでの叙階のお祝いの写真を送ってくれたことをとても嬉しく思っています。写真をありがとうございます。
写真の中にミサの時にトゥ神父様が百合ヶ丘教会に残した私の杯を使っている写真を見て感動しました。
私も54年前に叙階され、初ミサのときにあの杯を使いました。トゥ神父様がこれから私の代わりに日本で司祭と宣教師としての仕事を続けてくれるような気がしました。とても喜んでいます。
いただいた写真に出ている方々の一人一人の顔をじっと見つめて、とても懐かしく思いました。
日本では梅雨は明けすでに真夏のように、蒸し暑い日が続いているでしょうね。こちらでは、異常な不安定の気温です。34度数日があがりました。今頃26〜29度ぐらいです。今日は20度です。暑さに負けないで体に気をつけましょうね。私はむりしないで元気で希望をもって頑張っています。ではお元気で!

ジャン・ギ・デュポン神父

デュポン神父様の写真です!












主の平安
ご存知のように6月15日から22日まで、竹内さんと小谷さんは私のところに遊びに来ました。
遠いカナダでお会いできたことは夢のようなことです。私のところに泊まってよかったのです。心温まる出会いだったし、私を元気づけた出会いでした。懐かしい思い出はたくさん心の中に残っています。
私のペースにあわせて、ケベック市とモントリオール市をすこし見物しました。
竹内さんは写真をたくさん撮ったのです。良いのを選んでください。
体の調子は大分良くなりましたので、ボランテイアの仕事を毎週一回つづけています。できることなら、9月から毎週二回やりたいのです。
では、お元気で!祈りととものに!

ジャン・ギ・デュポン神父



今日は4月19日です


主の平安!
皆さん、この頃いかがお過ごしでしょうか。

今日は4月19日です。昨年の4月15日に百合ヶ丘教会の
20年間の滞在を終えて初めて協力司祭として国府津教会
に着任しましたね。もうすでに一年経ちました。特に百合ヶ丘
教会の20年間の滞在中の懐かしい思い出がこの頃たくさん
浮かんできて、正直に言いますとちょっと心細くなっています。

日本の東北の方には、まだ美しい桜の季節でしょうね。私は
5年間津軽で働いたことがありますので、弘前の桜の祭りを
何回も見たことがあります。本当にとてもきれいです。
今でも懐かしく思っています。

カナダには少しずつ春らしくなってきました。ライラックの
つぼみが出てきて、そろそろいろいろな花が咲き出す
でしょう。楽しみにしています。私は春が大好きです。
花と緑と命と希望とキリストと心の復活の季節です。

カナダの療養は順調ですので、私はだいぶよくなってきました。
リュマチのために足がまだ弱いですので、安全のために杖を
もって歩いています。希望をもって頑張っています。
皆さんも元気で、希望をもって頑張ってね。

皆さんはパソコンをお持ちですが、パソコンで Google Earth は
見られますか?Google Earth で今私が住んでいるカナダの
ケベック外国宣教会の本部の場所を見ることができます。

住所を教えます。

Societe des Missions-Etrangeres
180 Place Juge Desnoyers
Laval, Quebec, Canada, H7G-1A4

では、「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう。」

皆さんとご家族のために遠いカナダで祈り続けています。
お元気で!

ジャン・ギ・デュポン神父

追申:好きな詩のH.P.をインターネットで見つけました。
紹介します。

http://seika1.easter.ne.jp/poem_1.htm
クリスマスのご挨拶


カナダのデュポン神父からの手紙です。12月13日(日)ミサ後に委員長が読み上げました。

百合ヶ丘教会の皆さん、

主の平安!
このごろ、いかがお過ごしでしょうか。
暗い話題の多い今の時代、救い、喜び、希望、平和は私たち一人一人の心にあたたかさをもたらしてくれます。そんな心のあたたかさを取りもどすために救い主イエス・キリストは私たちの所に来てくださるのです。
まもなくクリスマスがやってきますね。クリスマスと年末のことでたいへん忙しいだろうと思います。是非お身体に気をつけてください。

クリスマスの救い、喜び、希望、平和の光が皆さんと、皆さんの大事な方々の心を満たし、恵み豊かな新年を迎えることが出来ますように、遠いカナダで、心よりお祈りしています。


私のことですが、今月15日に、帰国してから調度3ヶ月になります。帰国してから、耳鼻咽喉科、消化器肝臓内科、泌尿器科、循環器科、リュウマチ専門家に通って、検査を受けながら過ごしてきました。
10月1日から私はリュウマチを患っています。でも、いい薬を飲んで毎日リハビリをひとりでやっていて、いい結果はすでに現れてきました。痛みが治まってよかったです。リハビリの目的は足、手、腕、肩、首の関節をやわらかくすることなのです。安全のために当分の間、歩行器を使っています。とてもいい方向にいっていますので、余計な想像と心配をしないでくださいね。

カナダにも新型インフルエンザが流行して、私は、予防注射をしてもらいました。皆さんも気をつけてくださいね。
では、「暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう」
お元気で!祈りとともに!

Merry Christmas and Happy New Year!

2009年12月2日 
            デュポン神父


追伸
好きな記事をお送りいたします。


キリスト教は「希望」の宗教と言えるでしょう。
神様からの「愛」を信じ、「復活」を信じ、「永遠のいのち」を信じ、神様からの「救い」を信じています。そうした信仰故に、私たちキリスト者は「希望」を持って、日々生きていくことができると思います。 
勿論、「希望」があるということは、すなわち日々の苦しみや悲しみ、つらい出来事や困難が全くないことを意味するわけではないでしょう。でも、そうした物事も、「希望」があるが故に人は乗り越えようと思うでしょうし、乗り越えていこうと力づけられるののではないでしょうか。   

2009年9月15日にデュポン神父はカナダへ そしてメールが届きました


今度は日本に休暇で来てください!と声をかけるとこの笑顔の返事が・・・!


写真は小田原駅前での見送り


写真を写した順序はここでは逆です



そして成田では貸し切りバスと個人合わせて50人のお見送りだったそうです。



ほんの一部の方の写真です。



カメラマンも多いからあちらを向いたりこちらを向いたり!


カナダに無事つ着かれたか心配していると、教会委員長にメールが来ました。土曜日の夜に教会委員長からメールグループにメールが届きました。 

主の平安!

デュポン神父です。皆さんはいかがですか。私は9月15日(火)の17時に、日本を出発して、同じ日に18時40分にMontreal に着きました。帰国の準備と飛行機の13時間の旅のことでやっぱり疲れてしまいましたが、無事に着くことが出来て、良かったと思います。今ゆっくり休もうとしていますが、時差ぼけはまだなおっていません。あと2〜3日でなおるでしょう。気候はとても良くて、紅葉は始まっているところです。

9月15日(火)小田原市駅前と成田空港にいらっしゃって、見送ってくださった多くの方々に、そして、その日に見送りたくても、都合でこれなくて、私のことを思い出して、私のためにお祈りしてくださったたくさんの方々にも、心から深く感謝しています。

成田で予約された待合室で、皆さんとともに過ごした時間は私にとって、非常に嬉しくて、懐かしくて、感動的なひとときでした。本当にありがとうございます。

9月23日(水)に、医者に会う予定です、その結果はどうなるのか、もちろんまだ分かりません。分かりしだいにお知らせします。どうぞ私のためにお祈りください。遠いカナダで皆さんとご家族のために祈り続けています。
では、「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう。」

お元気で!
2009年9月18日
デュポン神父

追申:私のe-mailアドレスは変わっていません。


送別会



写真は送別会 聖堂





























送別会の挨拶 (2009−03−20)
ジャン・ギ・デュポン神父

今日、私のためにこんなに多くの方々が集まってくださったことを見
て、とても感動しています。おいでくださったみなさん一人一人に心か
ら感謝しています。いま、集まって来られたみなさんの顔を見ると、そして、当教会のみなさんの顔を思い出すと、いろいろな思い出でがたくさん私の心の中に浮かんできます。それらの思い出のすべては私にとって、とても大事なものなのです。

この教会に派遣され、いつのまにか、20年の歳月が経ちました。本当に時が経つのは早いものだなという感じです。ご存知のように、私は1989年の5月1日にこの教会の主任司祭として着任しました。ボアベール神父様の事件
(1989年3月31日)の一ヶ月後のことでした。あの時以来20年が経ってしまいました。この20年の間に、ともに行った事、喜んだ事、悲しんだ事、心配した事、悩んだ事、祈った事、そして、歩んできた道を振り返って見ますと、この教会に来てとても良かったな、というのが私の本心です。ですから今後も、ここで仕事をみなさんとともに続けたかったのですが、1月18日のミサ後、みなさんにお配りした手紙で説明したように今の体の状態では無理です。

20年の間にこの教会の中で、この教会を通して、数え切れないほどの多くの信者・未信者に出会いました。そして、いろんな形で、いろんなきっかけで、いろんな時に、いろんなところで、司祭として、宣教師として、大勢の方々の世話をしてきたこともあります。同時に、どれほどこの20年の間に、私自身が多くの方々のお世話になり、に支えられ、多くの方々からいろんなことを学び、どれほど多くの協力をいただいたのかをみなさんはご存知ないと思います。今日は改めてこのすべての方々の一人一人に本当に心より深く感謝していますとお伝えしたいのです。そして、みなさんがよくお分かりのように、私は天使でもなければスーパーマンでもないのです。ごく普通の人間ですので、もしも、この20年の間に、私の態度や言葉づかいや行動で傷つけられた方々がいらっしゃいましたら、心からお詫びいたします。どうぞ、お許しください。

この教会で、私は大きな業をした事はありません。りっぱな業績を残した事もありません。私は大きなことをする才能はないし、限界は多いし、日本の滞在が長くてもいまだに日本語が非常に不自由で、ただ小さな宣教師の一人なのです。本当に私のできたことは小さなことばかりでした。当教会内・外で、種蒔くこと、小さな種を、からし種のような小さな種を(マタイ13.31〜32)蒔くことだけでした。愛の種、信仰の種、希望・ゆるし・慰め・平和・キリストの福音の種、そして、私の18番の種「暗いと不平をいうよりもすすんであかりをつけましょう」を。私の蒔いた種で、この百合ヶ丘教会が少しでも居心地がよく暖かく
開かれた種蒔く教会になったならば、あちらこちら私の蒔いた種で、この世が、すこしでも住みよく、そして、一人でも多くの人が慰められ、支えられ、心の中に希望を持つようになって、そして、その人自身も種蒔く人となったならば、どんなに幸せなことでしょう。私が長年この教会で働いて来て、また日本で宣教師の道を歩んできたことをどれほど嬉しく思っているのか、そして、神様と多くの方々にどれほど感謝の気持ちでいっぱいになっているのかなどは、みなさんのご想像以上のものだろうと思います。


みなさんとのお別れは迫ってきました。お別れにあたって、当教会のみなさん一人ひとりにお願いがあります。ぜひ次の三つのことを自分の心の中にとめて、自分なりに考えていただきたいというお願いです。第一のことはこれです。「当教会の主任司祭が変わることは当教会の新しい出発への神様からの招きと呼びかけであることと同時に、当教会の一人ひとりの信徒への神様からの招きと呼びかけなのです。どんな招き、どんな呼びかけでしょうか・・・? 自分自身が00神父信者ではなくキリスト信者であるという新たな意識への招きでしょうか・・・?キリスト信者である事は自分にとってどんな意味があるのかという事への呼びかけでしょうか・・・?人によってその招きと呼びかけは違うでしょうね。」 第二のことはこれです。「これから、新しい司祭も、みなさんも、互いに理解しあって、協力しあって、努力し続ければ、新しい豊かな恵みがたくさんこの教会に与えられるということです。」 第三番目のことはこれです。「一日も早くみなさんが、新しい司祭とともに手をつないで、後ろ向きの姿勢と心ではなく前向きの姿勢と心をもって、希望をもって、頑張っていきましょうということです。」 この三つのことが、これからの当教会にとって、とても大切なことだと私は思います。よろしくお願します。


みなさんご存知のように、私が引っ越しするのは4月の半ばごろになっています。これからぼつぼつ荷物の準備をしなければなりません。荷物の箱の中に私の衣類とか、本とか写真とか、自分に必要なものとか、記念になるものなどを入れるつもりです。でも、私にとって一番貴重なものは箱の中に入れずに、私の心の中に入れます。私にとって一番大事なものは何でしょうかと言いますと、それは当教会のみなさんの一人ひとりのことです。昨日の夕方に、私は聖堂の一番前の席に座って、当教会の住所録を開いて、ゆっくりとみなさん一人ひとりの名前を読んで祈りました。私の持っている住所録の名前にはふりがながついていますので読むことができました。そして、その人の名前とその人のご家族のことを私の心の中にとめておきました。これから、距離的に離れていても、みなさんとご家族のために祈り続けます。私のためにもお祈りください。では、「暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう」。これをもちまして、ご挨拶とさせていただきます。

カトリック百合ヶ丘教会の皆様へ



写真は1月25日79歳の誕生日に撮影


この日より1週間前の日曜日に重大な発表がありました。
説教がなく、ミサの終わりに用意した原稿を読まれました。




カトリック百合ヶ丘教会の皆様へ

皆様をびっくりさせることだろうと思います。
申し訳ありません。遅かれ早かれ皆様にお知らせ
しなければならないことがあるのです。今日させていただきます。


多くの方々の知らないことだと思いますが、私は、何年前からかはっきり覚えていませんが、大分前から毎月聖マリアンナ病院とこの教会の近くにある竹山クリニックに通っています。2006年、心筋梗塞で倒れ入院しました。2007年、憩室炎で入院しました。2008年、リュマチ性多発筋痛症でまた入院しました。この3年間は特に病気のことで皆様に大変ご迷惑をおかけしてしまったと思います。これを考えると、本当に心苦しいのです。今月私は79歳になります。この頃、大分良くなりましたが、正直に言いますと、あちこち故障が出ています。現在、毎日薬を17錠を飲んでいます。今の体の状態で、私には、当教会の主任司祭としての仕事をきちんとし、その責任を適当に果たすことが出来なくなってしまったと思っています。心では、続けたいのですが、体がついていけないようです。冷静に考えると、今の状態で当教会の主任司祭として続けることは当教会の発展にたいしても、皆様への奉仕にたいしても無責任な行いだと思っています。
私は昨年の12月に横浜教区の教区長である梅村昌弘司教様とケベック外国宣教会の管区長のエーメ神父様に私の健康の状態と気持ちのことを話しました。二人とも私のことをよく理解してくださいました。二人との話し合いの結果で、私がご復活祭(4月12日)まで、当教会の主任司祭として務めさせていただきたいことをお願いしました。二人とも承知してくださいました。

カトリック教会の組織では、それぞれの教区内の人事異動を決めるのはその教区の司教様です。私の願いを梅村司教様に伝えたときに、"承知しました。では、私はご復活祭以後の百合ヶ丘教会のことをこれからよく考えてみます"とおっしゃいました。今、司教様は私たちのことをよく考えておられるところです。

横浜教区では、毎年司教様は2月の司祭の月集会のときに人事発表をなさいます。今年は2月24日(火)にあたります。そのとき、当教会のことと私のことが正式に発表されると思います。人事異動はご復活祭以後に行われます。最後になりますが、皆様のご理解とご協力をお願いします。20年間、一緒に歩んできた道を振り返ってみて、その道でいろいろな人々や出来事を通して、神様よりいただいた多くの恵みと、ともにやってきたさまざまなことを思いだして、神様に感謝しましょう。皆様、是非後ろ向きの姿勢と心ではなく前向きの姿勢と心を持って、希望を持って、神様に信頼して、お互いに力を合わせながら、頑張りましょうね。よろしくお願いします。私のためにお祈りください。私も皆さんのためにお祈りしています。


「暗いと不平をいうよりもすすんであかりをつけましょう」

2009年1月18日
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
ジャン・ギ・デュポン
「パウロ年」


皆さんこんばんは

このごろいかがお過ごしでしょうか。

さて、今晩、皆さんに「パウロ年」について

参考資料を送らせていただきます。ゆっくりお読みください。

********************************************************


「パウロ年」開幕

教皇ベネディクト十六世は、使徒パウロの生誕2000年を記念して、
2008年6月28日から2009年6月29日までを「パウロ年」と定めました。
パウロの霊性に導かれて学び、典礼・文化行事を行い、教会一致を促進するよう呼びかけています。

パウロ年ロゴマーク



ロゴに使用されているシンボル:
- 鎖
- 剣
- 本
- 十字架
- 炎
- 29 VI 2008 - 2009


ローマ城壁外の聖パウロ大聖堂回廊に付随するご遺物の小聖堂には一連の鎖が保管されています。古い言い伝えによれば聖パウロがローマでの囚われの生活を余儀なくされた際に使用された鎖だと言われています。


聖パウロは高く剣を振り上げている姿で表現されます。剣はローマの「トレ・フォンターネ」でのパウロの殉教の際の道具であるばかりではなく、長い世紀にわたって衰えることのない聖パウロのメッセージの力強さとその活力をも表すものです。使徒聖パウロはキリストの忠実な兵士であり支持者なのです。


聖パウロは人々に話しかけただけではなく、霊的にも神学的にも非常に高度な内容をもつ手紙をも書き送りました。聖パウロの手紙は新約聖書の中でも大変重要な位置を占めています。世界中の全てのキリスト者にとって汲みつくすことの出来ない教えの源泉となっています。

十字架
聖パウロはその殉教に際して十字架上で人類の罪を贖われた主に対する子としての限りない愛を全ての人々に証しするために自分自身の十字架を抱きしめました。


愛徳そして慈しみの愛が聖パウロの心の中で絶えず燃え続けていました。聖パウロはその炎を私たち一人ひとりにも伝達するのです。

29 VI 2008 - 2009
教皇ベネディクト16世によって宣言された聖パウロ生誕2000年を記念する聖パウロ年はローマおよび全世界において2008年6月28日から2009年6月29日使徒聖ペトロ、聖パウロの大祝日まで記念されます。

カトリック中央協議会ホームページ
「特集パウロの年」より
パウロ年ポスター ダウンロード(A2サイズ7.05MB)




聖パウロの像


ローマにある聖パウロ大聖堂、ファサード手前に建っていた聖パウロ像です。
サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ(聖パウロ大聖堂)

聖パウロは、剣で首をはねられ斬首されたので、剣は、聖パウロ殉教のシンボルとなっています。

聖パウロは、小アジア キリキアのタルソス生まれ。
ローマ市民権を持つユダヤ人だったそうです。
東地中海沿岸地方で伝道されていたそうですが、ネロ皇帝のキリスト迫害時期に、聖ペテロと共に、ローマにて殉教されています。


聖ペテロは奴隷として磔刑でしたが、聖パウロは、ローマ市民であったがために、斬首されたそうです。

イエズス会デーケン神父の復活祭・説教より


皆さんこんばんは
このごろいかかがお過ごしでしょうか。

皆さんのご参考のためにイエズス会のデーケン神父の2006年ご復活祭ミサ説教よりの抜粋をお送りいたします。ゆっくり味わってください。
では、お元気で!お祈りとともに!
デュポン神父  



ご復活祭おめでとうございます」
今日は、私たちにとって一年の間で特に嬉しい日です。イエズスの復活のお祝いの日だからです。私たちがイエズスの復活について考えるために、二つのポイントを話したいと思います。第一のポイントは、私たち、二十一世紀の人間にとって、イエズスの復活は、どのように考えたらよいかということです。第二のポイントは、イエズスの復活は、私たちにとって、どういう意味を持っているかということです。

まず第一は、私たち現代に生きる人間にとって、二千年前にイエズスが本当に復活したことは、どう信じることができるかですが、私は二つのことを指摘したいです。
 
一つは、イエズスが十字架に付けられて殺され、死刑に処せられて三日目に復活され、何千人もの人々の前に現れて、復活の後に会ったという証人がいました。もしそれが本当ではなかったなら、誰かが嘘だったとか、私たちはイエズスに会わなかったとかなどと、きっと言ったと思います。
もっと大切なポイントは次のことです。私は、遠藤周作さんがまだ元気なときに、毎月一回キリスト教芸術センターの研究会に参加していました。遠藤周作さんは、イエズスの復活を私たち二十世紀の日本人が信じることができるかどうかについて話し合ったとき、『イエズスの生涯』本にも書かれていますが、次のように言っていました。
イエズスの十字架上の死の前では、弟子たちは、明らかに非常に臆病者でありました。ペトロは、イエズスを知っていることを否定したほどの臆病者でした。もし自分がイエズスの弟子であると発覚したら、自分も逮捕されるのではないかと心配し、恐れたのです。そして他の弟子たちもみんな逃げたでしょう?ヨハネだけは、十字架の下で三人の女性、マリアとマリア・マグダレーナともう一人のマリアの三人と共に立っていました。三人の女性は強かったのです。男性の弟子たちはヨハネ以外はみんな逃げてしまいました。明らかに臆病者でした。遠藤周作さんが強調したのは、復活されたイエズスに出会った弟子たちは、後でものすごく 深い信仰を持って、世界中を回って殉教したということです。私も同じように思います。
 
私はこの三月に聖地巡礼の後、アッシジとローマに行き、ローマでコロセウムを見ました。コロセウムについては、皆さんも、『クオ・ヴァディス』(注1)の映画や本などでご存じだと思いますが、大勢のクリスチャンがライオンに食べられたことを、そういうような恐ろしい場面を、歩きながら思い出しました。ペトロは、イエズスのことを知らないと言いましたが、後で復活されたイエズスに出会ってから、ローマまでも行き、十字架に架けられて、聖ペトロ大聖堂(私たちがローマ法王の謁見に参加した場所)の所で殉教したのです。遠藤周作さんが言っていますが、人間は嘘のためにいろんなことをやりますが、殉教はしません。私も同じように思います。もしペトロと他の弟子たちが、復活されたイエズスに出会わなかったなら、その信仰のために殉教し なかったのではないでしょうか。この点において、イエズスが復活されたことを信じることができると思います。・・・・・・・・・
(注1)ポーランドの作家、ヘンリク・シェンキェヴィチ 
     Henryk Sienkiewicz (1846―1916)の歴史小説。
     映画化もされている。
     クオ ヴァディス Quo Vadis 
     ラテン語で「どこに行くのですか」の意味。

(デーケン神父の2006年ミサ説教より)


映画「マリア」


皆さんこんばんは

年末年始のことで皆さんは忙しいでしょうね。

クリスマスはいかがでしたか。



さて、今日私は「マリア」という映画を見にいってきました。

フイクションによるところがあると思いますが母マリアと夫ヨセフ

のことは上手に具体化されています。感動したところがあります。

お勧めいたします。



映画館:テアトルタイムズスクエア 電話:03−5361−1937

    新宿高島屋デパート12階(新宿駅南口徒歩2分)



上映時刻:11.00・13.35・16.10・18.45

2008年1月11日(金)まで。

良いお年をお迎えください。

                       デュポン神父





もうすぐクリスマスがやってきますね



皆さんこんにちは
このごろいかがお過ごしでしょうか。

さて、もうすぐクリスマスがやってきますね。
今年のクリスマスは皆さんとご家族の皆さん
のために恵みの豊かなクリスマスであります
ように心より毎日お祈りしています。
良いクリマスをお迎えください。
                    デュポン神父


                    





「クリスマスの祈り」

主よ、あなたは馬小屋で生まれたそうですね。

「宿屋には泊まる場所がなかった」と聖書にあるから

あなたがそこにいたからこそ、その馬小屋は暖かく、

明るくなったでしょう。


 主よ、今年のクリスマスに、ちょっとお願いしたい

ことがあります。私の心においでくださいませんか。

私の心の「馬小屋」ではなく、心の「応接間」にいらして

もらいたいのです。


 心がきれいだからという意味でなく、 きれいにして

もらいたいからです。変わりたいからです。変えて

もらいたいのです……


 あなたがおいでになれば、きっと私の心は明るくなる

でしょう。そうすると、あなたの思いやりや優しさは、

自然に、なごやかに、私の心の窓から、 周囲の人たち

にも流れてゆくでしょう。

 主よ、お願いです。お願い……..

                ペトロ・ボン・エッセン神父





「ろうそくの炎」

 「静かに4本のろうそくが燃えていました。
とても静かだったので、ろうそく達の間のささやきが
聞こえてくるのでした。

 1本目のろうそくが言いました。
「私は『平和』。しかし、私の光を誰も灯し続けることは
できないようだ。消えてしまおう。」
炎はゆっくりと小さくなり、やがて消えてしまいました。

 2本目のろうそくが言いました。
「私は『信仰心』。残念ながら私はうわべだけしか
見られていない。 人は神について知ろうとしない。
燃え続けても意味がない。」
そう言い終わると、風があたり炎は消えてしまいました。

 小さい3番目のろうそくが悲しそうに言いました。
「私は『愛』。私にはこれ以上燃え続ける力はありません。
人は私を放っておき、自分のことしか目に入らず、自分の
周りにいる自分を愛してくれている人さえも忘れてしまうのです。」
間もなく消えてしまいました。

 「どうして消えちゃうの。みんな最後まで燃え続けてよ。」
そう言うと、ろうそくを見ていた子供は泣き出しました。

 すると4番目のろうそくが言いました。
「もう泣かないで。私が燃えればまた他のろうそくに火を
灯すことができるのです。 私は『希望』です。」

 子供は目を輝かせ、まだ火の灯る4番目のろうそくを手に取ると、
その他のろうそくに再び炎を灯しました。

 私たちの中の「希望」の炎が決して消えてしまうことが
ないように。」

                            


               
≪ 前の30件| 次の30件 ≫

Copyright (C) 2004 suk2.tok2.com. All Rights Reserved.