主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   


 年間第21日A年(2017.8.27)

[マタイ16:13〜20]

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  「あなたはメシア、生ける神の子です」‥ペトロの信仰告白、と言われる箇所です。確かに、わたしたちにとっての信仰とは「イエスこそがキリストである」という一言に集約されると言ってもいいでしょう。もともと「イエス・キリスト」という表記自体、最も短い信仰宣言であるとも言われます。

ちなみに日本語で「信仰」というと、“自分が信じる“とか”自分の意志で”といった主体的なニュアンスを持ちますが、聖書において「信仰」と訳されている言葉の意味はむしろ受け身的で、“受け取る”とか“受け入れる”というものだそうです。確かに、聖書ではいつでも先にはたらかれるのは神さまですから、それを受け取るキリスト教信仰はある意味で受け身的である、とも言えるでしょう。

イエスという存在を通して神さまが様々な形ではたらきかけられている、それを感じ、受け入れ、そして積極的にその神のわざに身を委ねていく‥それこそが、わたしたちにとっての「信仰」と言えると思います。

ここのところ毎週合宿続きで、先週は木曜金曜の一泊で学連の夏合宿を、葉山のイエズス孝女会の施設でやってきました。横浜教区カトリック学生連盟、通称学連というカトリック学生主体の活動ですが、結構長く続いているものです。皆さんの中にもかつては活動された方もいらっしゃるでしょうし、わたしも学生の頃は勤しんでいました。どの時代にあっても、カトリック学生の主体的な活動というもののニーズがある、ということなのでしょうね。今回は25人の学生たちが集まりました。最近は教区外からの参加も多く、東京、といっても多くは地方から出て来て東京の大学で学んでいる学生も何人かいました。

今回ちょっと驚いたのは、上智大学の神学部の学生が4人参加していて、しかも全員が女性でした。いや〜、時代は変わったなぁ‥と思いました。わたしが上智で学んでいた頃は、神学部はもっぱら司祭養成のための場で、ほとんどすべての学生が神学生でした。たまにごくまれに民間人がいるくらいで。まぁその後神学生の数が減って、さらに教区の神学校が独立したこともあって、上智では結構前から神学部に一般の学生を多く受け入れているのだそうです。しかもさらに驚いたのは、その4人のうち一人はごく最近洗礼を受け、もう一人は洗礼を受けてない、というのです。え‥?信者じゃないのに神学部を選択するのって、どういうこと?と思いましたが、その二人と色々話すうちに納得しました。その二人はそれぞれミッションスクールの出身で、カトリック学校で学ぶうちに聖書やキリスト教神学に興味を持ち、神学部に入ることを選んだ、というのです。そして一人はつい最近洗礼を受け、もう一人はまだ洗礼は受けていない。なるほど、形や入口は違うけれども、わたしと同じだなぁと感じました。わたしは幼児洗礼者で、ミッションスクールでもなかったが故に自分の信仰を改めて掘り下げたいと思い、聖書や神学を勉強したくて上智神学部に憧れた。そして何度も言うようにそうした邪な動機で神学校に入っちゃったわけです。いや〜、神さまは実に様々な形で人を信仰に導くものだ‥とつくづく思いました。

そして、信仰者になったわたしたちは、だからと言って完璧である必要はないし、また完璧な信仰者になどなれません。きょうの箇所で実に立派な信仰告白をしたペトロでさえ、そのすぐ後でイエスさんから「サタン、引き下がれ」などと叱られちゃってるのですから。ペトロさんでさえそうなんだから、わたしたちもあまり心配する必要はないでしょう。そしてこれもいつも言うことですが、神さまからの信仰への導きも決して一回ではありません。わたしたちは常に、そして一生涯、神さまによって信仰に導かれている、と言えるでしょう。

そんな神さまの導きをいつも感じて歩むことができるよう、御一緒に祈りたいと思います。

 

                                    鈴木 真

                               


マタイ 16:13-20

 イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。


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