主のご降おめでとうございます  

 クリスマスのメッセージ 

 毎年この季節になると、クリスマスにまつわる色々な話に思いを馳せます。クリスマスにまつわる話というのは、実は世界中に数え切れないくらい存在し、また直接イエスの降誕につながらないもの、たとえばサンタがらみのものなどを含めると、今もなお増え続けています。人類の歴史の中で、これほど多くのことが語り継がれる出来事、というのは、めずらしいのではないでしょうか。そしてそれらの殆どが、心温まるメッセージ、人が人を思いやる内容となっていることも、重要なポイントでしょう。
 

 そんな中で今年は、なんとなく「賢者のおくりもの」という話を思い出しました。オー・ヘンリーという人が20世紀初頭に書いた物語です。ジムとデラという若く貧しい夫婦の話で、あるクリスマスに二人はお互いの宝を、お互いの宝のために犠牲にしてしまう‥という内容です。

 ジムとデラにはそれぞれ宝物があって、ジムはおじいさんの代から受け継いだ金の懐中時計、デラはひざまで届くほどの美しい金髪の髪の毛。ある年のクリスマス、デラは何かジムにプレゼントしたくて、でもお金がないので悩んだ末に髪を切って売り、そのお金でジムの懐中時計に素晴らしく合うプラチナの鎖を買います。しかしジムは帰ってきてデラの髪を見ると驚愕‥実はジムはやはりデラにプレゼントをするために金の懐中時計を売り、デラの髪をとかすためのべっこうの櫛を買ってきたのでした。わたしはこの話を読むたびに、どことなくほろ苦い思いがすると同時に、心に大切なメッセージが響くのを感じます。人間の価値観からするならば、何で前もって相談しなかったの? ということになるでしょう。そうすればこんな悲劇(人間の目から見ると「悲劇」になるわけです)は起こらなかったのに‥と。結局両方ともムダ(これも人間的には「ムダ」とうつります)になったと。

 でも、オー・ヘンリーが言いたかったのは、相手のために自分の大切なものを差し出すこと、これほど尊いことはない、という言わば「神さまのものさし」です。そして、神の目から見たら「ムダ」なものは何一つない。誰かのために何かをしようとするとき、それがどんなに小さいことでも、たとえ人の目から見たら失敗とうつっても、神は必ずどこかにつなげて下さる。昨年の震災後、わたしたちは様々なところで、そして今でも、そのことを体験し続けているのだと思います。人を思いやることのできる心をわたしたちが神さまから頂いていること、神がイエスをこの世に送って下さったことを祝うこの時こそ、そのことを改めて思い起こし、一人でも多くの方と分かち合いたいと思います。

 

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭  鈴木 真

     

 


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