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 「新しい人」が歌う「新しい歌」―主任司祭メッセージ 4/18―
 
 
 
 
 
							 「新しい」という言葉は、主の復活の神秘がわたしたちを「教会」とする信仰を、ふさわしく表すものです。 主イエズス・キリストの復活を祝う教会の典礼の表現では、「今日こそ神がつくられた日、喜び歌え
 この日をともに」とある通りです。
 イエズスさまによる神さまの救いの業、つまりその勝利は福音と言われ、福音はキリストによる「よい
 知らせ」ですが、それを伝える聖書も「新約(新しい契約)聖書」といわれます。神さまとわたしたちとを結ぶ
 新しい契約、つまり新しい いのちの絆を示すものです。
 わたしたちには難しいかもしれませんが、ヘブライ人への手紙には次のように書かれています。
 
 
 
							神は、かつて預言者によって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、
 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。
 (ヘブライ 1・1〜2a)
 
 
 
							 このイエズスさまを通して語られた「新しさ」はどこにあるかというと、さらにヨハネの手紙に書かれています。
 
 
 
							わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。
 ここに愛があります。
 (Jヨハネ 4・10)
 
 
 
							 つまり「先に」ご自分を捧げものにすることによって神さまがわたしたちを愛されたおかげで、わたしたちが神さまを愛することができるようになりました。これこそ新しさに満ちた福音です。
 
 
  この「新しさ」のテーマを、聖アウグスティヌスが述べる言葉を通して、思い出させていただきたいと思います。聖アウグスティヌスは、詩編の次の言葉で始めています。
 
 
 
							琴を奏でて主を賛美せよ、十弦の琴を奏でてほめ歌を歌え。新しい歌を主に向かって歌え。
 (詩編 33・2〜3)
 
 
 
							   人間は新しく、契約は新しく、歌は新しい。新しい歌は古い人々が歌うものではありません。新しい歌を習得するのは、恵みによって古い者から新しい者にされ、天の国であるところの
 新しい契約にすでに属している新しい人々だけです。わたしたちの愛のすべては主を渇望し、
 新しい歌を主に向かって歌います。口ではなく、生活が新しい歌を歌うべきです。
 「新しい歌を主に向かって歌い、巧みに主に向かって歌え。」(詩編 33・3)
 各自、自分が神に向かって歌うにはどうすればよいかを探究しています。…
 
 
 
							
						 
							 それからもう少し細かく次のように続けます。
 
    そこで、神はあなたにいわば歌い方を教えてくださるのです。言葉を並べて神を喜ばせることができると思って、言葉を捜すことをやめなさい。神に向かって巧みに歌うということは、
 喜びの叫びをあげて歌うことにほかなりません。喜びの叫びをあげて歌うとはどういうこと
 でしょうか。心で歌うことを理解したり、言葉で説明したりすることができないということです。
 実に、歌う人々は、取り入れの仕事に携わっているときであれ、ぶどう畑で働いているとき
 であれ、その他何らかの仕事に熱中しているときであれ、歌詞のついた歌を歌いつつ喜びに
 あふれるようになると、そのうちに言葉で表すことができないほどの喜びで満たされて、歌詞を
 もはや発音しなくなり、ただ喜びの叫びだけをあげるようになります。
 
 
  深い経験を表現するときに「言葉にできない」と表現することがありますね。
 
    このような喜びの叫び声は、言葉で表現することのできないものを心が抱いて出そうとしていることを示す音です。こうした喜びの叫びこそ、名状しがたい神をたたえるのにもっとも
 ふさわしいものではないでしょうか。名状しがたいものが言葉で語ることができないもの
 だからです。神のことを語りえず、そのうえ黙っていてはならないのです。そこで、あなたに
 できることは、喜びの叫びをあげる以外には何もないのではないでしょうか。そうすれば、
 心は言葉を発せずに喜びにあふれ、喜びの計り知れない広がりは音節に制限されない
 でしょう。「喜びの叫びをあげて巧みに主に向かって歌え。」(詩編 33・3)
 
 
 
							
						 
							確かに教会の祈りは、わたしたちをいつも愛してくださる神さまへの賛美と感謝の祈りです。
 
 
							「見よ、わたしは万物を新しくする」(黙21・5a)   とある通りです。
 
							  言葉を超える歌を歌い、この新しさに満ちた いただいたいのちを常にこころから現わしていきたいと思います。
 
  また来週!
 
							
							
							
							
 
 
 カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
 * 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
 ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。
 
 
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