主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   

聖霊降臨の主日C年(5/23) ヨハネ14:15-16,23b-26 使徒言行録2:1-11

  「弟子たちに聖霊がくだる」という出来事を、第一朗読にあるように使徒言行録は少々派手に描きます。御存知のように使徒言行録はルカ福音書の続編として同じ著者によって書かれた物ですが、ルカ福音書も含めて派手な表現が好きなようですね。たとえばイエスの誕生の場面など・・。ヨハネ福音書では、復活されたイエスが弟子たちに息を吹きかけながら「聖霊を受けなさい」と言う逆に地味な表記になっていますが、使徒言行録の描く「聖霊降臨」の出来事の中に、幾つかの重要なポイントが置かれているのも事実です。

  聖書で「聖霊(あるいは「霊」)」と訳されているのはヘブライ語で「ルーア」、ギリシャ語で「プネウマ」という言葉で、いずれももともとは息とか風という意味だそうです。日本語で「霊」というとどうしても霊魂とか魂をイメージしてしまうのですが、聖書の言う「聖霊」は人を生かし動かす神からの働きかけの力です。


  使徒言行録では、弟子たちが様々な国の言葉で話し出すという不思議な出来事が描かれていますが、これも弟子たち自身の体験がもとにある、と言えるでしょう。すなわち自分たちの経験や才能、力量などとは関係なく、まったく一方的に神が自分たちの内に働いている・・言わば「これは自分じゃない」という体験です。そして、弟子たちが聖霊によって宣教を開始したその時を「教会の誕生」とする使徒言行録の位置付けは、とても意義深いと言えます。教会は常に外に意識を向け続けなければ、ある意味で「教会」であり続けることができない・・ということなのです。

  聖霊は常に、わたしたちのうちに働いています。弟子たちのようにその後の人生を一変してしまうような劇的なものもあるでしょうが、わたしたちの日常の何の変哲もないことの中に、毎日繰り返される所作の中にも、聖霊は働いているのです。第二朗読でパウロは「この霊によってわたしたちは<アッバ、父よ>と呼ぶのです」と言います。前にも説明しましたが、この「アッバ」という言葉はアラマイ語で幼い子供が父親を呼ぶ時の幼児語なのだそうです。イエスは常に神に対して「アッバ」と呼びかけました。わたしたちにとって神とは幼子にとっての親のような存在、逆に神にとってわたしたちは、親にとっての幼子のような存在・・と、神とわたしたち人間の関係を言わば説明する言葉でもあるわけですが、そのようなイエスと同じような神への向かい方ができるのも、聖霊の働きによるもの・・というわけです。ただわたしたちは、そうした聖霊の働きに半ば気付いていない、あるいは見過ごしてしまっている事が少なくないでしょう。また往々にしてわたしたちは、自分の都合のいい時だけ、自分にとってよい結果となった時にだけ「聖霊の働きだ」と感じてしまっているのかもしれません。しかし自分が予測しないような、思いもよらない形で、そして時には自分にとって都合の悪い形で聖霊が働いている時もあるのだろうと思います。ルカ福音書によればマリアは聖霊によってイエスを身ごもったわけですが、マリアにとってそれは都合が悪いどころか、あってはならないような形ででした。しかし二千年前にマリアに聖霊が働いたからこそ、わたしたちは今ここにいる、と言えるでしょう。それは言わば神からの一方的な働きかけによる奇跡にほかなりません。そして一方的とは言ってもそれは、同時に神の愛のしるしでもあるのです。聖霊が「愛の霊」とよく呼ばれるのも、神がわたしたちをこよなく愛しておられるしるしとしての働きかけこそが、聖霊であるからなのです。


  
二千年前に弟子たちに降ったおなじ聖霊がわたしたち一人ひとりに今も臨んでいること、そしてそれによってわたしたち自身も神を愛し、また互いに愛し合うことができること、その大きな恵みを、この聖霊降臨のお祝いの日に、皆さんと分かち合いたいと思います。


ヨハネによる福音(ヨハネ14:15-16,23b-26)

  そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟(おきて)を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。

 わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。

 わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」
 


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