主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   

年間第21主日(8/21)
マタイ16:13-20


 

 『ペトロの信仰告白』として有名な箇所です。内容的にはマタイ・マルコ・ルカの三つの福音書にあるものですが、マルコとルカがわりにここをさらっと流すのに対して、マタイではペトロを教会の代表者とするイエスの宣言的な言葉が載せられています。多くの聖書学者は、ここは元々顕現物語、つまり復活されたイエスと弟子たちとの出会いの場面に属するものではないかとか、ペトロの教会における権威を裏付けるために後の教会が付け加えたのでは、といった意見を出しています。いずれにしても、福音のメッセージとしてこの箇所を読む時、やはり次の言葉が心に響いてくるのではないでしょうか。「あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」神のわざ、神のはたらき。わたし自身、日常の中でよく言ってしまう言葉ですが、それはやはりそのことを日々感じているからだということに改めて気付かされます。わたしたちのうちに神のわざが常にはたらいている‥わたしたちは毎日の小さなことから、または人生を左右するような大きなことの中で、いつもそれを感じることができるのではないでしょうか。

先々週に教区の高校生大会があり、この前の日曜は留守を致しました。今年も30人ほどの高校生が神奈川・静岡・山梨から集まり、スタッフを入れて約50人分の食事を四日間に渡ってつくってきました。ここ百合ヶ丘からも、一人の高校生が参加してくれました。2001年に高校生大会を始めてからずっと、11年間食事係をしています。まぁ料理をするのが好きなので、毎年楽しみにしていることでもありますが、同時に毎年高校生大会が近づくとある意味で緊張します。合宿の中で食事は重要なものだと思っていますが、同時にやはり大会そのものからしたら“脇役”です。大会を成功させるために支障なく食事の時間をすごしてもらうよう、失敗はゆるされない‥そんな思いで緊張するんですね。それはメニューを決めたり、買出しに行くところからも始まっています。買出しは食事係の若者たちも手伝ってくれますが、帰って来て自分のマンションの部屋に運んだり、また肉を冷凍するためにジプロックに詰め替えて教会の冷蔵庫に運んだり‥と、結構一人でやることも少なくありません。今年は前日に車に荷物を全部積み込んだところで‥情けないことに腰にきました。いや~さすがに寄る年波には勝てないか‥いい加減引退かななどと思いつつ、本番を迎えたら‥またこれが暑い!特に厨房はとんでもない暑さで、これは四日間体が持つかな‥と不安になりましたが、何とか乗り切って最終日を迎えた時、ふと気付かされました。高校生たちの笑顔に癒されていたんだな、と。十代の子達の心からうれしそうな顔に、知らずのうちにすごい力をもらっていました。

考えてみると、わたしたちは若者や子供たちに癒されていることが結構あるように思います。若いお母さんが生まれたての赤ちゃんを抱いていたら、あらかわいい!と思わず人が寄って来ますよね。そしてその赤ちゃんの笑顔がどれだけ人を癒しているか。自分では何にもできない、親がいなければ生きてゆけない人間の赤ん坊が、人を癒してる。これは紛れもなく神さまのわざでしょう。そして、そのことを気付かせてくれるのもまた、神さまのはたらきに他なりません。また違う見方をするなら、人は無意識のうちに誰かを癒してる、逆に誰かに癒されてる‥と言えるのかもしれません。それもまた、まさしく神さまのわざですよね。

そんな神のわざとはたらきによっていつもわたしたちが生かされていることに、日々気付いてゆきたいと思います。


マタイによる福音 マタイ16・13-20

イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府(よみ)の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵(かぎ)を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。(マタイ16・13-20)


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