主任司祭 鈴木 真 神父 主日の説教

 もくじ   

三位一体の主日C年(5/26 ヨハネ16・12〜15)

 

 

  「三位一体」といういわゆる教義は、どうもよくわかりません。と言うか、わかったようでわからないもの‥という感じでしょうか。わたしの中では少なくとも「父である神」とイエス・キリストとは分けて考えたい、といつも思ってしまいます。なにせイエス御自身が父である神に対して「アッバ(父よ)」と呼び掛けておられるのですから。ヨハネ福音書では、父である神と子であるイエスとの一体性がしばしば強調されます。どうやらこの辺から‥とも思われますが、ようはイエス・キリストを通して、父である神が示されている、ということでしょう。聖霊についても、ヨハネ福音書は「その方」などとちょっとややこしい言い方をしますが、第二朗読でパウロが「わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている(ロマ5:5)」と言っているように、要するに神の働きかけの力に他なりません。また同じくロマ書の8:15bで「この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです」と言われているように、聖霊の働きによって、わたしたちはイエス御自身が父である神に向かわれたのと同じ向かい方ができる。つまりは、「父と子と聖霊」とは神とわたしたちとの関係の構造と言ってもいいのではないでしょうか。キリストを通して、父である神はわたしたちに聖霊によって働きかけられ、それを感じたわたしたちは、同じ聖霊の力によって促されて、またキリストを通して父である神に向かう。キリストという唯一の仲介者を介しての、神とわたしたちとの関係と、そこに働く聖霊の力‥それこそが、「父と子と聖霊」の交わり‥そう考えれば、なんとなくわかってくるようにも思います。何よりもそこにあるベースは、わたしたちをこよなく愛して下さる神の愛と、それを御自分のすべてを通して示して下さったイエス・キリストの存在に他なりません。その「交わり」に、いつもわたしたちが招かれていることを、心に留めたいと思います。


ヨハネによる福音 (ヨハネ16・12-15)

その時、イエスは弟子たちに言われた。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ 16・12-15)


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