聖週間 2008/3/16〜22


受難の主日(枝の主日) 3/16

四旬節第5主日の次の日曜日を受難の主日と言います。

この受難の主日から、キリストが死を「過ぎ越し」て新しいいのちへ移られたことを記念する「聖なる過ぎ越しの三日間」は、教会典礼暦一年の頂点となっています。
むかしエルサレムの町に人々がイエスを迎えたように、この日曜日には信者は手に祝別された「しゅろの枝」をもって行列し、

「門よ、扉を開け、永遠の戸よ あがれ、栄光の王が入る」(詩編24)

と歌いながら聖堂へ入ります。


聖週間と「主の過ぎ越しの聖なる3日間」

教会の典礼は、キリストの生涯の主な出来事を思い起こす(記念する)ことによって、わたしたちがキリストの救いの恵みに与るように招きます。

キリストの「救いのわざ」の中心は、受難と死を通して復活の栄光に移られた「主の過越」(死から生命へ過ぎ越す)にあるので、旧約の過越祭に代わり、キリスト者の間にはこれを祝う復活祭が年に一度盛大に祝われるようになりました。

特に主の復活の日を迎える「聖なる三日間」は大切にされました。また枝の主日とも呼ばれる「受難の主日」)に始まる一週間も「聖週間」と呼ばれるようになりました。

この一週間の典礼は、すでに紀元400年ごろエルサレムで盛大に行われていました。キリスト者たちは、各々の日に、出来事が実際に起こった場所に集まり、その出来事の聖書の箇所を朗読して、イエスの救いのわざを記念し、黙想し、祈ったのです。こうしてエルサレムで盛んになった聖週間の典礼は、次第に各地の教会でも行われるようになりました。 

聖なる三日間は、ふつう1日目・聖木曜日、2日目・聖金曜日、3日目・聖土曜日または復活徹夜祭というふうに考えられていますが、正確には次のようになります。

第1日目
木曜日の日没から金曜日の日没まで。(ユダヤ暦の安息日の前日)

第2日目
金曜日の日没から土曜日の日没まで。(ユダヤ暦の安息日)教会は主の墓のもとに留まり、主の受難と死をしのぶ。

第3日目
土曜日の日没から日曜日の日没まで。(ユダヤ暦の週の初めの日)この夜教会は復活徹夜祭を盛大に祝い、翌朝の復活主日のミサ、復活主日の晩の祈りで締めくくる。

(聖なる三日間は、1日の境目が日没時という当時のユダヤ暦に従って区切られています。)

聖木曜日「主の晩餐の夕べのミサ」 3/20

「主の晩餐の夕べのミサ」から「聖なる三日間」が始まります。
このミサは最後の晩餐を直接記念するものとして、必ず夕方に行われるばかりでなく、共同体の全員が一つのミサに集まり、一致の秘跡
(目に見えないものの目に見えるかたち)であるミサの制定が記念されます。キリストが聖体を制定され、ミサを残してくださることにより、いつまでも、今もキリストはわたしたちと共にいてくださり、キリストとの一致を通して、わたしたちのあいだの一致も完成されます。

聖金曜日「主の受難」3/21

今日の典礼は、キリストの受難と死を単に時間的な順を追って再現しようとするのではなく、人類の歴史全体におけるキリストの受難と死の意味を思い起こし、復活への希望をもってキリストの十字架の勝利を賛美するものとなっています。

聖土曜日 3/22

「復活の聖なる徹夜祭」3/22 日没後

復活徹夜祭は「あらゆる徹夜祭の母」(聖アウグスチヌスの言葉)と呼ばれて大切にされ、
すでに四世紀にはエルサレムだけでなくいろいろなところで盛んに行われていました。
この夜は、古来、神のために守る徹夜(出エジプト12・42)の日とされ、
キリスト者はあかりを灯し、
目をさましてこの夜を過ごします。こうして、主が死から生命へお移りになったこの最も聖なる夜、
洗礼によって新しく生まれた兄弟とともに、喜びの食卓(ミサ)に招かれるのです。

復活の主日 3/23

復活とは・・・・

春一番が吹き荒れて、膨らみはじめた木の芽の間を通りすぎていきます。凍えていた生命が新しいいのちを吹き込まれたかのように、暖かい春の到来に向けて姿を変えてゆきます。自然が美しい変容をとげるこの時期、私たちは主イエス・キリストの復活を祝います。

およそ二千年前のパレスチナにイエスという一人の男がいました。私たちキリスト者は、このイエスを「キリスト」(救い主)と呼びます。ですから「イエス・キリスト」というのはひとつの名前ではなく、それ自体がイエスという歴史的人物を神からの救いをもたらす救い主と表明するひとつの信仰宣言なのです。

イエスは歴史的な出来事の中では、約三年ほどの宣教活動を行なった末、当時の政治的・宗教的権力者たちから反感をかい、十字架につけられて殺されました。そのような人がいったいどうして神の救いをもたらすことができたというのでしょうか?

当時イエスに従っていた弟子たちも同じような疑問を抱いたことでしょう。自分たちが「先生」と言って仰いでいた人は、単なる政治的反逆者の一人にすぎず、罪人としてこの世から排除されるような人だったのでしょうか?そのような葛藤に悩まされていた彼らの前に、死んだはずのイエスが現れました。

新約聖書の中にはイエスの墓が空っぽになっていた話、そして弟子たちの前にイエスが出現する話があります。これらの話の背後には、復活したイエスに出会った弟子たちの特別な体験があります。それがどのようなものであったかを知ることは、私たちにはできません。ただそれを体験した弟子たちの証言を受け入れ、信じることだけが私たちにできることです。

使徒パウロも次のように証言しています。
「最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち
、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたと、また、
聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファ(ペトロ)に現れ、
その後十二人(弟子たちのこと)に現れたことです」
(コリントの信徒への手紙I 15・3-5)
キリスト教がまだ形成されてまもないころから、信者たちはこの言葉を受け入れて自分たちの信仰の土台にしてきました。

イエスの復活は、イエスが伝えた福音を神の目で見て正しいことであったということを、神の方から保証した出来事です。

イエスは生前、神の国の福音を人々にのべ伝えました。神の国の福音とは、神がどのような方であるかを表すものです。神は貧しく弱い者を決して見捨てることのない慈しみ深い父のような方であり、できないことは何もない全能の方、何も無いところから世界を創造する方、決して私たちを見捨てない方であるということです。イエスはこの福音(よき知らせ)を言葉ばかりでなく、その生き方すべてでもって現しました。イエスが哀れな死に方をし、復活したことは神がどのような方であるかを、今までにない方法で現すことでした。すなわち罪と死から人間を解放する神の姿です。

イエスが復活したことは、死を超える生命への希望を私たちに与えます。それは神の永遠のいのちに私たちが招かれていることです。永遠のいのちとは、有限ではなく無限が、苦悩ではなく至福が、枯渇ではなく充満が約束されていることです。

キリスト者は、イエスの復活をこのようなこととして信じています。復活祭を祝うのは、こうした信仰を毎年新たな気持ちで確認するためです。

「……イエスは言われた。
『わたしは復活であり、命である。
わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。』……」

(ヨハネの福音書11:25-26)

 


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