御復活おめでとうございます。
今年は一月二月があんなに寒かったのに、三月半ばから急に暖かくなって桜が一気に咲きました。これは復活祭までもつかな‥と心配しましたが、その後「寒の戻り」が何度も来たせいで、思いのほか長く桜が楽しめているのではないかと思います。とは言え、実はわたしはこの桜の季節が少々苦手です。桜の花が一気に咲き始めると、どことなく落ち着かなくなり、華やかなのに何かさびしい気持ちになったりします。よく春は生き物の精神状態が不安定になる時期と言われますが、そのせいでしょうか。あるいは春は「別れ」の季節でもあるので、その感覚を体が覚えてしまっているからかもしれません。初夏が近づき、新緑が目に眩しくなった頃のほうが、わたしは落ち着けるような感じがしてしまいます。
でも、春は「出会い」の季節でもあります。カトリック教会は伝統的に復活祭に洗礼式を行いますが、これには大きな意味があると思います。神はいつも新しいメンバーを教会に加えて下さり、それによって教会も常に新たにされてゆく。その神のわざこそが、「キリストの復活」と言えるからです。2000年の間ずっと、実に多くの人がキリストと出会い、だからこそ教会は続いてきました。そしてそこにはキリストと出会った者どうしの出会い、つまりはいつもキリストを通して人と人とを結びつけて下さる神のわざがさらに働いています。その神の働きのわざこそが「キリストの復活」、その働きの場こそが「教会」に他なりません。復活祭は、改めてそのことに目を向け、感謝し、分かち合う時なのだと思います。
一斉に咲いた桜が散って葉が出て新緑の眩しさが訪れるように、わたしたちのごく身近で神のわざは確実に働いています。わたしたちの共同体にも、今年も新たな仲間が与えられました。その大きな恵みに感謝すると共に、キリストに従う仲間としてこれから共に支え合いながら歩んで行くことができますよう、心からお祈り致します。