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主のご降誕 おめでとうございます 「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」(イザヤ9:1) イエス・キリストがこの世に生まれる約500年前、旧約聖書の預言者たちはいっせいに〈救い主到来〉を預言し始めました。しかし、この時代はまさに「暗闇」の時でした。度重なる大国の侵略に、イスラエル王国は分裂・滅亡の一途をたどり、多くの民は捕囚民として外国に連れ去られました。そんな苦難の真只中、神の救いの到来が語られたのです。 一方、イエス・キリストの出来事を語る新約聖書の福音書の中にも、似た表現が見られます。「言(ことば)の内に命があった。命(いのち)は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。」(ヨハネ1:4~5a) 実はヨハネ福音書が書かれた時代も、言わば「暗闇」でした。できたばかりの教会は激しい迫害にさらされ、特にその前身であるユダヤ教からの迫害がピークに達した時だったのです。それでもキリスト者たちは、そんな「暗闇」の中にイエス・キリストという「光」を見出しながら希望を捨てずに歩み続けました。どんな困難のさなかにあっても、神がキリストを通して救って下さることを知っていたからです。 クリスマスが12月25日に祝われるようになったのは、古代ヨーロッパの「冬至祭」がもととなっていると言われます。最も日が短くなった後にまた次第に日照時間が伸び始めるこの時、人々は太陽の神さまが新しく生まれる時として祝いました。ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を帝国の国教として受け入れた時、「真の太陽」であるイエス・キリストの誕生を祝う時として宣言したのです。まさに「闇の中に輝く光」としてのキリストの存在を、人々は長きにわたって見つめ続けて来たと言えるでしょう。 現代という時を見つめると、今もなお「暗闇」の時代であることを認めざるを得ません。自然災害もさることながら、人災による甚大な被害、絶えることのないテロや戦争、社会の最も底辺におかれた人々の苦しみ‥。どんな時代であっても、人間はなかなか自力で平和を実現することができずにいます。でもだからこそ、今一度神が与えて下さった希望に目を向ける必要があるでしょう。神が御自分の造られた一つひとつのいのちをどれほど愛されているか、ゆえに人間は愛されるために生まれて来たこと、そして逆に誰かを愛するためにわたしたちが生きていること。誰かを幸せにすることが、自分やみんなの幸せにつながること。それを御自分のいのちをもって示して下さった方が、時と場所を超えてわたしたちと一緒に歩んで下さっていること。 イエス・キリストの誕生をお祝いするこの時、そんな希望を通して「平和」を実現なさる神のわざを改めて思い起こし、一人でも多くの方とその喜びと希望、「闇に輝く光」を分かち合いたいと思います。 カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 鈴木 真 神父 |
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