クリスマスのメッセージ



 

 主のご降誕 おめでとうございます

LED電球が普及しだしてから、冬のイルミネーション合戦が年々勢いを増しているように思います。

新百合ヶ丘の駅前や、読売ランドなど、今年もすごいことになってますね。確かにきれいだと思いますが、なぜこんなにも冬の夜を光で飾りたがるのかな‥と考えると、もしかしたら人間は夜空に輝く星への憧れ‥というかそれに対する回帰のようなものを持っているのかもしれない、と思いました。昔はもっとたくさんの星が見えていたことでしょう。

20年ほど前、フィリピンに行った時、現地の神父さんに同行して田舎の村の小さな教会の夜の集会にお邪魔しました。空を見て?然としました。満天の星。天の川がくっきりと見えました。ふいに創世記にあるアブラハムへの神さまの言葉「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい‥あなたの子孫はこのようになる。(創世記15:5)」という箇所が頭に浮かび、ああ、こういうことだったのか‥とわかった気がしました。人間はそうした「満天の星」の記憶を、DNAの中に持っているのかもしれません。

2000年前、その星の中に救い主誕生のしるしを見出した人々がいました。マタイ福音書によれば、イエスがお生まれになった時、東方から占星術の学者たちが訪れた、とあります。この「学者」と訳されたもとの言葉は〈マギ〉で、ペルシャのゾロアスター教の祭司階級を表すもの、とされています。また「占星術」というと現代のわたしたちはいわゆる星占いを連想しますが、当時は今の天文学にも似た優れた科学を持っていたようです。いずれにしてもこの人たちは、ペルシャからはるばる砂漠を横断してイスラエルの地に来たわけで、当時はそれ自体が生涯をかけた冒険であったことでしょう。しかも彼らはイエスを探し当てると、高価な贈り物を捧げただけで帰ってゆく。まさに「拝みに来た(マタイ2:2)」だけだったのです。しかしそのことによって時の権力者であるヘロデ王にイエスの誕生が知らされることとなり、彼は生まれたばかりのイエスの命を奪おうと画策します。

くしくもルカ福音書では、生まれたばかりのイエスを神殿に捧げようと連れてきた母マリアに、シメオンという人が次のように預言します。「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。‥多くの人の心にある思いがあらわになるためです。(ルカ2:34~35)」確かに、2000年前にイエスがこの世にお生まれになったことで、人類の歴史には様々なことが起こりました。その中にはいいことも悪いこともあるでしょうが、悪いことはすべて、人間の罪という現実が生み出したもの、と言えます。神はあくまで人類の救いのため、決定的な人類の歴史への介入として、救い主を世に送って下さったのです。そして今日のわたしたちにも、またこれからもずっと、そのメッセージは送られ続けます。

マタイ福音書は、次のようなイエスの言葉で締めくくられます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイ28:20)」時代を超えてわたしたちに示されている神からの救いのしるし、メッセージを、今年も主の降誕を慶び祝う中で、一人でも多くの方と分かち合いたいと思います。

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭

鈴木 真 神父

 


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