ご復活のメッセージ
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「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死ななないものを着るとき、 『死は勝利にのみ込まれた。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。』 今年は死に勝利される主イエズス・キリストの復活の祝日を、身体の死をもたらす敵、新型コロナウイルスのために公に祝うことはできませんが、この出来事からみ言葉によって学びたいと思います。 ウイルスの怖さがどこにあるかと考えれば、それは人と人との関係が死をもたらす場となるところにあります。そのわけは、人が他の人との関係によって生きるものだからです。 しかし今、ひとは本能的に身を守ろうとして人から身を引き、人から離れようとしています。そのことによって生きる力が土台から絶たれるようになります。 「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。」 ウイルスから身を守ること、身体の死から命を救うこと…これらは主の神秘の話のたとえにすぎません。イエズスはもっと恐ろしい死から私たちを救ってくださるからです。それはこころ(霊)の死です。こころの死、それは愛の死、すなわち人と人との深いつながりを絶つ、悪の力です。 ヘブライ人の手紙にキリストによる勝利について次のように書いてあります。 「死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。」(ヘブライ2・15) 奴隷の状態、それは愛である神さまの命が縛られている状態ですね。日本語で「良い・良さ」「悪い・悪さ」といいますが、イタリア語では「悪い」は「カッティーボ」あるいは「カッティベーリア」といいます。それは囚人あるいは縛られた者の状態を示す言葉です。 鍵をかけて家に閉じこもっていた弟子たちは、死から復活されたイエズス様を見て喜びました。その喜びの意味は、次のイエズス様の言葉によって明らかになります。 「あなたがたに平和があるように。………聖霊を受けなさい。 つまりイエズス様は、縛られていた死の恐怖から弟子たちを解放し、神の子どものこころをお与えになったのです。 冒頭のパウロの言葉はここで明らかになります。 「わたしたちの主イエズス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」 主のご復活の喜びを祝い、その勝利に加えられたことを感謝いたしましょう。ご復活おめでとうございます! カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン |
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