「今こそ」 


2020年3月29日

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン

四旬節が始まり聖週間を迎えるただなか、コロナウイルスの爆発的蔓延のために、わたしたちも教会の活動を慎むとともに、日曜日(主の日)と平日の典礼(ミサ)を含めて中止し、不安に満ちた時を過ごしてきました。これからも続く状況にあたって、今までの指導に続いてここで提示する方針を守っていただくと共に、励ましのことばを述べさせていただきます。

四旬節の歩みを表すパウロのことばを思い出したいとおもいます。

『今や恵みの時、今こそ救いの日。』(IIコリント6・2)

旅に出ること、それは神様の恵みだけを頼りにして歩き出すことですね!

これはアブラハムの信仰を表す出来事(創世記12)でした。わたしたちは当たり前の世界に生きていると考えがちです。しかし、アブラハムはこの当たり前の世界から出て、神さまと共に旅に出たのです。私たちはともすると当たり前の世界から出ることをせず、自分だけを信じて自分の力に基づいたこの世界の安心感を求めがちです。しかし、それだけでは足りないのです。この感覚だけを頼りにして生きる道は、「死」にしか導かない道です。言い換えると、この道はわたしたちを死から救うことはできません。

主イエズスのあの言葉が浮かんできます。

 

『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』(マタイ4・4)

つまり、わたしたちのいのちを支えるパンは、愛であり神さまから来るものであるとイエズス様は教えてくださいます。

タグレ枢機卿(元マニラ大司教)は、今の状況について次のように説明します。英語のことばから引いて、これは「emergency(突然現れてくる事実)」であると。  

この伝染病の危機こそ、こころの中で愛のemergencyを起こす機会とするように薦めてくださいます。こうして今のこの不安に満ちた時に、わたしたちがこの真実を思い起こすなら、それによって『恵みの時、救いの日』となります。

いつもわたしたちに先立ってゆく神さまの愛に目覚めて、今こころを閉じるのではなく、こころを開くなら、わたしたちは隣人のためにいのちをいただいていること、また人のために生きることにいのちがあり、喜びがあることが分かる機会となります。断食はわたしたちを人の必要に目覚めさせ、愛はわたしたちの祈りが求める喜びをもたらしてくれる、つまりこの世にいのちを与えるのは天からのパンなのです。

この試練のときこそ、先ず人を心にかけ、いただいている指導に従うことによって愛を表し、またこの試練を捧物として祈れば、それが「霊的に」わたしたちを豊かにし、恵みの時となり、救いの日となるでしょう。このためにご一緒に祈りましょう。

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