わたしたちが一つであるように、彼らも…(ヨハネ17・22b)
―主任司祭メッセージ 6/7―




 
 イエズス様は教会の一致のために祈られました。

また、彼らのためだけでなく、彼らの言葉によって
わたしを信じる人々のためにも、お願いします。
父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、
すべての人を一つにしてください。
彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。

(ヨハネ 17・20〜21a)

 実は、人間の中にある深いあこがれは、「一つになること」です。
 そのために、人間には愛する力が与えられています。わたしたちは、その愛から学んで、
一つになろうとひたすら祈っているはずです。
 キリスト信者であるわたしたちにとっては、その深い望みが「三位一体」の神を知る信仰によって、
実現されます。愛の道を歩みたいと人は誰でも望みますが、その怖さを感じ、
その道から逃げ出しがちです。キリストを知るわたしたちはヨハネの手紙の言葉から学びます。

わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。…
愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。…
わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。
(Jヨハネ 4・16a、18a、19)

 実はわたしたちは皆、初めに覚えた小さな祈りで、愛であられる神さまのことを教えられています。
 それは、十字架のしるしをしながら、『父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。』とする祈りです。

 異なる恵みをいただくユニークな存在であるわたしたちは、神さまからユニークな形で愛される
という贈り物をいただいています。しかし、幸せになるために、その贈り物を愛を通して
かぐわしい捧げものにするようにと呼ばれています。

 聖書には初めから「人間のしあわせは愛にある」ことについて述べる箇所があります。

神は言われた。『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。…』
神はご自分にかたどって、人を創造された。
神にかたどって創造された。男と女に創造された。
神は彼らを祝福された。
(創世記 1・26a、27〜28a)

 また結婚の義で読まれるパウロの言葉があります。

『それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。』
この神秘は偉大です。わたしはキリストと教会について述べているのです。
(エフェソ 5・31〜32a)

 ここには、愛する力をわたしたちに返して下さったのはキリストの愛の恵みであることが
示されています。

 
 そして教会とキリスト様との一致を表すことばがあります。

わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。
最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。
更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、
夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、
神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
(ヨハネ黙 21・1〜2)

 こうしてキリストによって、わたしたちも皆一致へのあこがれを満たすことが出来るようになりました。

 
 キリスト様の祈りである一致への呼びかけは、パウロの祈りにもなります。

そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。
神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、
一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。
愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、
霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。
それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと
招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、
すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、
すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
(エフェソ 4・1〜6)



カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン





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