「…パンを裂き…」(使徒言行録2・46b)
―主任司祭メッセージ 6/14―



信者たちは皆一つになって、…毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、
家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、
神を賛美していた。
(使徒言行録 2・44、46〜47a)

 初めから「パンを裂く」ことは、教会の信仰の心を表します。
 この「パンを裂く」とは、それはミサです。
 「パンを裂く」ことは「エウカリステイン」ということになり、それは「エウカリスティアを行う」と
いう意味ですが、「エウカリスティア」の意味は「良い恵み」です。
 福音が「良い知らせ」であるように、ミサは「良い恵み」、グラチアです。
神様の“良さ”に人々をあずからせてくださる恵みです。
 聖ヨハネ・パウロ二世 パパ様が書かれた書簡ですが、そのテーマに「教会はエウカリスティアによって
生きる」とあります。つまり教会は、あの「良い恵み」によって生きるということです。

 世界を煩わせているこのコロナウイルスの時こそ、私たちはあの「良い恵み」にあずかることを
奪われて、深い喪失感を体験しています。わたしたちのうちに、見えないウイルスが潜んでいる
かもしれないという危険を感じて、私たちを一つにしようとしてくれるあの「良い恵み」から引き離されて
苦しんでいます。
 ミサによってイエズス様の愛の記念にあずかり、イエズス様ご自身の“良さ”に加えられて生きる
私たちにとって、その喜びを奪われるのはなんと寂しいことでしょう!
 でも、生涯の試練の一つとしてそれを心静かに迎え入れ、その痛みを捧げものにするようにとも
教えられています。
 実は人が病気で、パンを裂くところに出向いて共に祝うことができない時には、昔からご聖体が
その人のところに運ばれていました。でも今回は、それが一人か二人ではなく皆が病気の状態になった
感じで、まことにつらい時を迎えています!

 6月14日は、教会がキリストの聖体の祭日を祝う日にあたりますが、このたびこのメッセージを通して
皆さまになぐさめの言葉とともに、エウカリスティアの贈り物(良い恵み)の上に感謝をしながら、
同時に離れていても私たちと共にいつもおられるイエズス様につながっていたいと思います。
イエズス様を常に思い、その愛から学び、その愛が私たちをいつも一つにしてくれることを喜びながら…。
また初代教会と同じように、ひたすら心を一つにして神を賛美したいと思います。

 改めて実際に私たちが集まり、実際にパンを裂くイエズス様を囲んでご一緒にミサを捧げ祝う日が、
早く恵まれますように祈りたいと思います。






カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン





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