わたしたちは…神に仕える祭司

―主任司祭メッセージ 7/19―




  ミサの奉献文の初めにある叙唱に、わたしたちのために神さまが行われた救いのわざを賛美して、
次の言葉があります。

私たちはいま、選ばれた種族、神に仕える祭司、神聖な民族、
あがなわれた国民と呼ばれ、やみから光へ移してくださった
あなたの力を世界に告げ知らせます。
(年間主日の奉献文1)


 ミサは、異なる形でイエズスさま・司式者・集会が「同じ祭司職」に立って、救いのわざが実現される
ものです。
 
ミサはイエズスさまのミサですが、見えないイエズスさまが見える司祭の“しるし”を通して、また、洗礼の
時からキリストの祭司職に加えられたわたしたちもささげるものです。

 あの時(洗礼の時)、わたしたちに次の言葉が伝えられました。

あなた方はキリストにおいて新たに生まれ、
キリストの祭司職にあずかる民に加えられました…と。

(「成人のキリスト教入信式」 134番)


 こういうわけで、ミサに奉仕し聖体拝領などをする資格も、教会の洗礼を受けた人々に
限られています。


 “わたしたちはみな祭司”についてペトロの手紙に次のようにあります。

主は人に捨てられましたが、神によって選ばれた尊い生きた石です。
この主に近づいて、あなたがたもまた、生きた石として、
霊に満たされた家に築き上げられます。
それは聖なる祭司となり、イエズス・キリストを通して、
神に受け入れられる、霊に生かされたいけにえをささげるためです。

(Jペトロ2・4〜5 フランシスコ会訳)


 わたしたちが「聖なる祭司」となるとはどんなことなのか、パウロが次のように教えてくれます。

兄弟たち、神の憐みによってあなたがたに勧めます。
自分の体を神に喜ばれる聖なる生けにえとして献げなさい。
これこそ、あながたがのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、
心を新たにして自分を変えていただき、
何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、
また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
(ローマ12・1〜2 新共同訳)


 最後にわたしたちを祭司にしてくださるのは、神さまの恵み(グラチア)であることは、
ヨハネの黙示録に次のように書いてあります。


わたしたちを愛し、御自分の血によって罪から解放してくださった方に、
わたしたちを王とし、ご自身の父である神に仕える祭司としてくださった方に、
栄光と力が世々限りなくありますように、アーメン。
(ヨハネ黙示録1・5b〜6 新共同訳)






カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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