聖週間の始まりにあたって 」 

2020年4月7日



私たちは今年、身に染みる痛みを味わいながら、教会が祝う主の受難の週間(聖週間)に入っていますが、今こそ主の死と復活の神秘をご一緒に思い出したいと思います。その受難の時を、言葉にならないほどの試練を耐えられたマリア様と弟子たちとともに。

主の復活の日の夕方、鍵のかかった部屋にお現われになったイエズス様をみた彼らの喜び、「主だ」と。
それからあのあいさつの言葉。「あなたがたに平和」
(ルカ24・36)
今こそそれをご一緒に思い出したいと思っています。

この私たちの住む日本でも、今私たちが体験している状況は、死の危険にさらされているといえます。しかしこの中で、私たちは希望に支えられながら、一人の人間として主の十字架を背負って歩みたいと思います。

教会もこれに合わせて行動をとることになっていますが、教会(つまりその頭であるキリストとその体である私たち)は、私たちの日常から離れているわけではありません。公による活動ができなくても、教会(キリスト)は生きています。今しばらく、この試練を共に耐えるように呼ばれていますが、ミサにおいていつもご自分の受難をわたしたちのために奉げて下さる主の奉げものに加えて、離れていても私たち一人ひとりの奉げものをイエズス様とともに奉げるようにおすすめしたいと思います。
「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで。」

緊急の場合や必要な時は、私までご連絡ください。事情が許す限り、教会の祈りとなぐさめで皆さまをお支えしたいと思います。

「顔を合わせてあなたがたの信仰に必要なものを補いたいと夜も昼も切に祈っています。」(テサロニケ3・10)
この使徒パウロの言葉を思い出して、この試練を乗り越え、またご一緒に教会の祈りを行う日が来ますように祈りましょう。

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭
マリオ・ビアンキン

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