先だった兄弟たちのために祈る教会 ―主任司祭メッセージ 8/23―
ミサの奉献文で教会は次のように祈ります。 また、復活の希望をもって眠りについた 人間となられた神さまは、人々をみなご自分の死と復活の神秘に結ばれたのです。 この教会の信仰は、死んで復活された「イエズス様の神秘」に根付いているものです。 「(神は言われます)『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』 つまり教会の信仰の感覚からみると、死はいのちの終わりではありません。人の存在は、 こういう理由で、人が亡くなった日を命日と呼ぶことは教会にとってふさわしいと思われます。 信じる者にとって死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、 私自身は子どもの頃から、この信仰を身につけたことを思い出します。育った小教区では、 「キリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、 こうして、キリストの体に加えられたキリスト信者は、教会に運ばれ、祭壇の前に置かれ、 神の祭壇にわたしは近づき 使徒パウロのことばにすると、 (あなたがたは)洗礼によって、キリストと共に葬られ、 ミサは永遠にいたるいのちの神秘を祝うものです。 主よ、永遠の安息を彼らに与え、 ではまた来週!!
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。
* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。 |
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