イエズスさまが泊まるところ

―主任司祭メッセージ 8/30―



 ヨハネの福音書に、二人の弟子たちが初めてイエズスさまに出会った時の「のぞみ」について次のように
書かれています。

イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、
「何を求めているのか」と言われた。
彼らが、「ラビ ―『先生』という意味― どこに泊まっておられるのですか」
と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
そこで彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。
そしてその日は、イエスのもとに泊まった。
(ヨハネ1・38〜39a)

 実はこの弟子たちの「のぞみ」は、エウカリスチアによる「ご自分のまことの存在(現実の現存)」の
おくりものによって、わたしたちのためにイエズスさまが永久に可能にしてくださいました。
 ベネディクト16世は、「愛の秘跡」の中で次のように書かれています。

主は祭壇の秘跡の中でわたしたちと出会います。
すなわち神の像(かたどり)と似姿に従って造られた
(創世記1・27参照)人間と出会います。
そして、わたしたちとともに道を歩んでくださいます。
  また、

聖体において神自身の『アガペー(愛)』は、
からだをとってわたしたちのもとに来ます。
それは、神がわたしたちのうちで、わたしたちを通して働き続けるためです。
 と。
(ベネディクト16世 使徒的勧告―愛の秘跡(2と5)―)

 実はカトリック教会のカテキズムにも次のようにあります。

「死んだかた、否、むしろ、復活させられたかたであるキリスト・イエスが
神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです」
このキリストがさまざまなしかたで教会に現存されます。
ご自分のことばのうちに、ご自分の教会の祈りの中に、
「二人または三人が(ご自分の)名によって集まるところにはその中に」、
また貧しい人、病人、囚人のうちに、ご自分が制定された諸秘跡のうちに、
ミサのいけにえならびに司式者のうちに現存されます。しかし、
「“とくに、聖体の両形態のもとに”現存しておられる」のです。
(カテキズム No.1373)

また、

小教区共同体にとっては、神の家である教会堂(聖別されている場所)
典礼的な祈りのための場所となっています。
それは、聖体のうちに現存されるキリストを礼拝するための
特別な場所でもあります。
(カテキズム NO.2691)

 ウイルスの存在が続く中、わたしたちはイエズス様のもとに集まる、というキリスト信者に最も
必要なことを実行できない辛さを感じている一方で、あらためて教えられることもあります。
それは、エウカリスチアの秘跡を通してわたしたちとともに「まことに存在しておられる
(現実に現存しておられる)」イエズスさまに出会う大切さ、を教えてくれる機会でもあるからです。
 実は教会の建物が小教区に「聖なる場所」として必要である理由は、ここにあります。
それは、エウカリスチアの中に「まことに存在する」イエズスさまと実際に出会い、いっしょに
“とどまる”ためです。
 教会献堂ミサの叙唱にこうあります。

この祈りの家はあなたの住まい
ここに集まるわたしたちのうえに 
あなたは尽きることのないめぐみを注ぎ
聖霊の神殿となさいます。
また あなたはキリストの花嫁である教会を
いつくしみ深く育て 喜びに満ちた母として
天の栄光に導かれます。

 人間となられた神さまは、初めにマリア様の胎内に宿られました。その後は、ナザレの家に
住まわれました。最後に受難と死、復活を通してこの世を新しく創造されたとき、イエズスさまは
神さまの新しい創造の住まいとしてご自分の体(現存)を教会のもとに残されます。
それは時間が続く限り、その救いに人がどこでも出会うことが出来るためです。
 つまり教会(建物)は聖別されたものとなり、イエズスさまが留まられるところとなり、
わたしたち皆もイエズスさまとともにとどまることができる場所となります。
マリア様の胎内と同じように、教会は父がのぞまれる祈りの家となり、
教会(わたしたち)はイエズスさまのもとで新しいいのちに成長することができるのです。
 聖書の「エマオへの道」のエピソードに、この神秘について書かれています。

二人が、「いっしょにお泊りください。そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、
イエスは共に泊まるため家に入られた。
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。

(ルカ24・29〜31)

 ではまた来週!!

 



カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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