『アーメンである方』にわたしたちの「アーメン」を

―主任司祭メッセージ 10/25―


『アーメンである方、誠実で真実な証人、
神に創造された万物の源である方』

(ヨハネ黙3・14b)

 ミサの奉献の祈りの終わりに、わたしたちは「アーメン」と言い、また歌います。
 わたしたちの「アーメン」には、深い意味があるからです。

 奉献文はミサの中心であって、偉大な祈りであるので、さらに特別な宣言の言葉
“詠唱”で締めくくられています。

キリストによってキリストとともにキリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、
       すべての誉れと栄光は、世々に至るまで
、     と。


 ここでわたしたちは「アーメン」と唱えるのですが、その意味は他のことばで言えば
「これこそ真実です」であって、「これこそわたしたちが信じ奉るものです」という意味です。  

 使徒パウロのコリントへの手紙に次のようにあります。

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったから…
この方を通して「アーメン」と唱えます。
(Kコリント1・20)

 「アーメン」はヘブライ語の言葉で、《わたしたちに対する神の忠実と神へのわたしたちの信頼とを
表す際に使われるのです。》
(カトリック教会のカテキズム 1062)
 
ミサにはその他にもアレルヤやホザンナなどヘブライ語の言葉があります。

 実は奉献の祈りは、初めにわたしたちが学んだもっとも小さい祈りに似ています。
 それは「父と子と聖霊の御名によって、アーメン」という祈りです。
 奉献文の祈りも御父に向って捧げられ、御子のことばによってパンとぶどう酒はキリストの
肉と血となり、聖霊の恵みによって実現されるのです。

 詳しく説明すると
 〇奉献文の叙唱の部は、神さまの愛による「救いの業」を思い起し、尊びます。

 〇その続きのエピクレシス(聖霊を願う)の部は、御父に向ってその「救いのおとずれ」を
  願います。

まことにとおとくすべての聖性の源である父よ、
今聖霊によってこの供えものをとうといものにしてください。
わたしたちのために
    イエズスの御からだと?御血になりますように


 〇続いて聖変化のお言葉の後に、アナムネシス(記念と奉献)と言われる言葉が次のようにあります。

(父よ、)わたしたちは今、
主イエズスの死と復活の記念を行い、
ここであなたに奉仕できることを感謝し、
いのちのパンと救いの杯をささげます。


 〇最後に聖霊に祈って、次のように唱えます。

キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、
      聖霊によって一つに結ばれますように。  
   と。


 次に取り次ぎの祈りの部が続きますが、最後に先に挙げた「詠唱のことば」で、わたしたちは
救いの業の真実を認め、また喜び、「アーメン」と唱え(歌い)奉献文は終わります。


 来週、世界中の教会は、先だった兄弟姉妹たちを記念し、「諸聖人」(11月1日)と「死者の日」
(11月2日)をお祝いしますが、まだお話していない奉献文の「取り次ぎの祈り」がテーマとなりますので、
そのことをお話しましょう。また来週!






カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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