『アーメンである方』にわたしたちの「アーメン」を ―主任司祭メッセージ 10/25―
『アーメンである方、誠実で真実な証人、 ミサの奉献の祈りの終わりに、わたしたちは「アーメン」と言い、また歌います。 奉献文はミサの中心であって、偉大な祈りであるので、さらに特別な宣言の言葉 キリストによってキリストとともにキリストのうちに、 ここでわたしたちは「アーメン」と唱えるのですが、その意味は他のことばで言えば 使徒パウロのコリントへの手紙に次のようにあります。 神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったから… 「アーメン」はヘブライ語の言葉で、《わたしたちに対する神の忠実と神へのわたしたちの信頼とを 実は奉献の祈りは、初めにわたしたちが学んだもっとも小さい祈りに似ています。 詳しく説明すると 〇その続きのエピクレシス(聖霊を願う)の部は、御父に向ってその「救いのおとずれ」を まことにとおとくすべての聖性の源である父よ、 〇続いて聖変化のお言葉の後に、アナムネシス(記念と奉献)と言われる言葉が次のようにあります。 (父よ、)わたしたちは今、 〇最後に聖霊に祈って、次のように唱えます。 キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、 次に取り次ぎの祈りの部が続きますが、最後に先に挙げた「詠唱のことば」で、わたしたちは 来週、世界中の教会は、先だった兄弟姉妹たちを記念し、「諸聖人」(11月1日)と「死者の日」
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。
* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。 |
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