天と地が喜び祝うミサ

〜「諸聖人の日」と「死者の日」にあたって〜

―主任司祭メッセージ 11/1―


 ミサの第3奉献文にある「取り次ぎの祈り」は次の言葉で始まります。

地上を旅するあなたの教会、…

 それはわたしたちのことを指しますが、同時にすでに天上におられる教会のことをも示して
いるでしょう。つまり先立ったわたしたちの兄弟姉妹のことです。
 「地上」を旅する教会は「天上」に向かって旅するからです。
 したがって「奉献の祈り」が終わると「交わりの儀」の始まりに、わたしたちは「主の祈り」を唱えて、
「『天におられる』わたしたちの父よ、」と呼びかけるのです。
 つまりミサは、「天」と「地」をつなぎ、平和をもたらすイエズスさまの救いの業です。
 その業によって、天と地が一つとなります。こうして取り次ぎの祈りはふさわしくこの真実を表します。

 「取り次ぎの祈り」は、
 まず世界中における旅する教会(パパ様や司教様など)を思い出して祈ります。
続いて、先だった兄弟姉妹を思い出し、その永遠の安らぎを願って祈ります。
最後に、今ここで「ミサを行っているわたしたち」のためにも祈りますが、このわたしたちの祈りに
加えられて、取りなして下さるようにと、すでに天におられるマリア様をはじめとした教会の
諸聖人の取り次ぎを願います。

 天と地をつなぐキリストによる愛の交わりを表すすばらしい祈り、これがミサです。

 ことに、先だった兄弟姉妹を思い出して永遠の安らぎを願う祈りについて、
教皇ベネディクト16世は次のように教えられます。


 わたしたちは感謝の祭儀の中で、キリストが死んで復活し、再び来られることを告げ知らせます。
それゆえ感謝の祭儀は、わたしたちのからだが栄光を受ける、未来の栄光の保証です。

 わたしたちの救いの記念を行うことによって、からだの復活と、信仰のしるしを帯びてわたしたちに
先だった人々と再び顔と顔を合わせて相まみえることができることへの希望が強められます。

 このことに関連して、わたしはシノドス参加司教とともに、死者のために祈ること、
とくに死者のためにミサをささげることの重要性をすべての信者に思い起していただきたいと
望みます。それは死者が清められて、神の至福直観に至ることができるためです。

聖体を祝い、礼拝することに含まれる終末論的な次元を再発見することは、
旅路を歩むわたしたちを支え、栄光への希望によってわたしたちを慰めます
(ローマ5・2、テトス2・13参照)
(使徒的勧告『愛の秘跡』32)


 こうしてミサが、わたしたちのためにイエズスさまが公生活の初めに述べられた福音を、
いつどこでも新たに実現してくれます。その福音は、

「時は満ち、神(天)の国は近づいた。
悔い改めて福音を信じなさい」
(マルコ1・15)

というものです。

 諸聖人の日と死者の日にあたって、ともに祈りをささげながら…。

 ではまた来週!






カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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