「今」…「この」そなえもの
司祭の手を通して、わたしたちがイエズスさまにささげたパンとぶどう酒のそなえものの上に、 まことに とおとくすべての聖性の源である父よ、 それから、その上に十字架のしるしをして続けます。
わたしたちのために主イエズス・キリストの 奉献文の上記の部分をエピクレシスということをすでに学びましたが、聖変化のことばに続く わたしたちは いま、 それから キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、 「今」「この」または「ここで」というところに注意して話を進めてみたいと思います。 「昔」も「今」も、「いつも」「どこでも」、同じエウカリスチアであるので、世界中の人々がイエズスさまの パウロが言われます。 洗礼(バプテスマ)を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、 洗礼と信仰によって、キリストさまと一つにしていただく決心は、ミサの時、わたしたちがいつも 使徒ヨハネが言われます。 わたしたちの交わりは御父と御子イエス・キリストとの交わりです。… ミサは、いつも新たにわたしたちに愛の掟を思い出させてくれます。わたしたちと同じミサをささげる ウビ・カリタスの歌にあるように、「愛といつくしみのあるところに神はそこにおられます。」
ではまた来週!
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。
* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。 |
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