わたしたちの父よ
―主任司祭メッセージ 11/15―


「神さまを父と呼ぶなんて、なんとすばらしいこと!」

 このことばは8歳の小さき花の聖テレジアの日記に残されています。
 イエズスさまはいつも神さまに向かって「父よ」と祈り、それを見聞きしていた弟子たちは
「祈ることを教えてください」とイエズスさまに願い、イエズスさまはいわゆる「主の祈り」を教えて
下さいました。それはミサの奉献文に続く「交わりの儀」のはじめにあります。

 司祭の

主の教えを守り、みことばに従い、
つつしんで主の祈りを唱えましょう。


と始まり、会衆一同と一緒にその祈りを唱えます。

天におられる わたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり 地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を 今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。


 この後、いつものように「アーメン」と唱えないで、司祭が会衆の代表として、一人で次の言葉で
祈りを続けます。

いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、
現代に平和をお与えください。
あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、
すべての困難にうち勝つことができますように。
わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを
待ち望んでいます。


 ここで、会衆がその祈りに加えて

    国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。    

と、こうして「主の祈り」の部が終わります。

 振り返ってみましょう。
 感謝の祭儀(エウカリスチア)は「奉納」から始まっていましたね。わたしたちはこの地上のいのちを
支えるために、パンとぶどう酒の食べ物しか持っていませんが、それがイエズスさまの御手にささげられて、
イエズスさまの御体と御血となり、わたしたちもイエズスさまと一つにさせていただき、同じ天のいのちに
与るものとなりました。
 こうして、ようやくわたしたちもふさわしく神さまの交わりに加えられ、イエズスさまといっしょに
神さまを「父」と呼び、祈るのです。

 祈りについて少し考えてみましょう。わたしたちの祈りはいつも いのちを願う祈りですが、
「主の祈り」はそれとどう違うのでしょうか?
 それは、「地上の感覚」だけをもって願う祈りではなく、「天の父の感覚」をもって願う祈りです。
 「主の祈り」は、最初に3回も神さまのいのちに満ちた御はからい(み旨)が実現されますようにと
願い、それに続いてこの地上を旅する人間が必要とする4つの願いが続きます。

 ・わたしたちが毎日必要とする糧
 ・罪の赦しによる心の癒し
 ・誘惑といのちの危険に陥らないように
 ・最後に、あらゆる悪からの救い    を願います。

 

 この祈りを、イエズスさまと会衆が心を一つにして天の父におささげします。
まさに、三位一体でおられる神の交わりの中にわたしたちが加えられてささげる祈りですね!

 小さき花の聖テレジアの日記に残されたことばをいつも思い出しましょう。

「神さまを父と呼ぶなんて、なんとすばらしいこと!」

 





また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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