生きた石として

―主任司祭メッセージ 4/26―


「天と地」「光と闇(やみ)」「生と死」…これらのイメージと同じように、また「生きた石」のイメージは美しい。
石は墓(墓石)、つまり命の終わりを示すものです。しかしマタイの福音書に次のように書いてあります。

すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から下って近寄り、石をわきへ転がし、
その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

(マタイ28・2B〜4)

天使は石をわきに転がし、その上に座っていたのです!もう石はいのちを黄泉(よみ)の国に
閉じ込めることができなくなっていたのです。主イエズスの復活によって、石はもはや死のしるしではなく、
新しいいのちのしるしとなっていたのです。ペトロの手紙にも次のように書いてあります。

主は人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエスキリストを通して奉げなさい

(Jペトロ2・4b〜5)

御父がイエズス様を復活させられ成し遂げられた「新しい創造」、それは石の建物に例えれば、
「生きた石」によって成り立つ建物で、教会である私たちです。

生きた石で成り立つ建物…例をあげてみましょう。私が生まれ育った家族を思い出します。
私は13人の家族でした。両親と8人兄弟。祖母と祖母の姉妹、叔母でした。
みな一人ひとりが大切で欠けてはならない存在であったと感じています。
子供も年寄りも、またたびたび来ていた物乞いの人々も…。家は本当にホーム…みんなのお家でした。

「生きている石」で成り立つ建物となることをコロナウイルスも教えてくれているのでしょうか。
政府はいろいろな施策を示してくれますが、人間に欠けてはならないものは心から生まれる愛です。

医療従事者たちが自分の命をかけて闘ってくれていること、大変な状況にある人々に手を差し伸べること、
ボランティアとして自分のできることで人々を助けること、これらのことはわたしたちを「生きた石」にしてくれます。
イエズス様が下さった霊のおかげです。

みことばを、受け入れた者、その名を信じる者には、神の子となる資格を与えた。
(ヨハネ1・12)

イエズス様が「死」まみれのこの私たちの世界、石の世界に神様の霊を入れて下さったおかげで、
わたしたちは「生きた石」となり、新しい創造にあずかりました。この神さまの業は、暗闇の中に輝く光です。
徹夜祭の時の復活賛歌で私たちは次のように歌います。

『天と地、神と人とが結ばれたこのとうとい夜、
あなたの教会が奉仕者の手を通して奉げるこのろうそくを賛美のいけにえとしてお受けください』と。


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イエズス様、「新しい創造」によって、あなたの霊をくださったことに感謝します。
それにより、あなたの家族になり兄弟となって、こころを一つにして
「父よ」と祈ることができるようにしてくださったことに感謝します。




カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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