主はわたしたちと共におられる
―主任司祭メッセージ 5/3―



「二人が、『一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから』と言って、無理に引き止めたので、
イエスは共に泊まるため家に入られた。」

「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
(ルカ 24・29〜31)

 復活節第3主日は、復活されたイエズス様がエウカリスティア(ご聖体)の秘跡のうちに
わたしたちのうちにとどまられることがテーマでした。第4主日は「よい牧者」としてイエズス様が
ご自分の教会の中にとどまられることがテーマです。そのために世界中における教会は
「祭司職」の秘跡を思い出し司祭たちのために祈ります。

 ルカによる福音のエマオで現れる主のエピソードにあるように、イエズス様が復活されたあの日から、
弟子たちへのあの約束が実現されます。


「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)
教会があるところには、必ずご聖体がおかれています。パンのしるしの中に
エウカリスティア(ご聖体)として、主が聖櫃(せいひつ)におられ、
わたしたちと共におられます。


「主があなたと共におられる」(ルカ1・28)
マリア様へのお告げのあの時からイエズス様はずっとわたしたちと共におられます。
司祭のあいさつにも「主はみなさんと共に。」とあります。昇天されたイエズス様は
わたしたちをひとりぼっちにはされませんでした。


「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」
(ヨハネ14・18)
 これは最後の晩餐の場で、イエズス様が司祭職を教会に残された時のことでした。
司祭職の贈り物のおかげで、イエズス様はわたしたちのうちに「良い牧者」としてとどまられます。
それは世の終わりまでミサを通してご自分を捧げるためです。

洗礼によって、ご自分のいのちを与えるために、それから他の秘跡を通してもその聖霊を与え、
その赦し、その癒しを与え続けるために。司祭職の秘跡を通して、
イエズス様は結婚の秘跡の恵みを与えて下さり、また新しく生まれる司祭の恵みも与えて
下さっています。

 短く言えば、司祭の奉仕を通して、「よい牧者」であるイエズス様が、この世の終わりまで、
その羊であるわたしたちのために、ご自分のいのちをささげることによって養い、
狼から守ってくださいます。

 よい羊飼いとその群れが一つであるように、司祭職の秘跡を通して、イエズス様が教会である
その民とともに生きておられます。

 コロナウイルスのために、今この時、教会に集まって秘跡にあずかることはできませんが、
これは大きな教会の苦しみ、また試練です。教皇フランシスコも言われるように、
バーチャル(virtual)な形ではイエズス様に出会うことはできません。秘跡を通してのみ、
リアル(real)な形でイエズス様にお会いするのです。

 こうして教会は、司祭のために祈っています。教会の中にとどまられるイエズス様に出会うためです。
イエズス様は教会の中にとどまるために司祭職を残されました。
皆さんに身近な存在として近づくためです。

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神よ、あなたによって恵みの分配者となった司祭に、

聖霊の息吹を注いてください。

あなたのことばにいつも開かれた心、誘惑や試練に負けない心、

けんそんに犠牲を行うキリストの心を、

司祭のうちに強めてください。

司祭が叙階の恵みに応え、

あなたと人々のために忠実に仕えることができますように。

主キリストによって。アーメン




カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン



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