わたしたちが「神の子どもの家族」として生まれた日
―主任司祭メッセージ 5/31―
五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに
ほかの国々の言葉で話しだした。
(使徒言行録 2・1〜4)
日本語で聖霊降臨と言われますが、降臨は「降ってとどまる」ことをよく表現しています。
こうして、イエズス様の約束が実現されます。
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、
父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。」
(ヨハネ 14・23b)
身を捧げものとすることによって主とされたイエズス様を信じる人々の集い、これが教会で、これが新しい
世界の始まり、これこそ新しい神の民です。
二つのポイントを挙げさせていただきます。
その一つは、自然の現象である火(炎)と風(音)とかかわっています。
日本のことわざを思い出します。地震、雷、火事、親父。これはまことに恐怖の世界です。
わたしたちは、コントロールできないものが怖いのです。
これと違って、五旬祭の時の火と風とに関する聖書の言葉は、「新しい始まり」とかかわるもの
としてあります。ニコデモへのイエズス様の言葉を思い出します。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、
どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
(ヨハネ 3・8)
イエズス様の死と復活はわたしたちを「地震、雷、火事、親父」のことわざの世界から解放し、
わたしたちに新しい始まりを与えてくださいました。死んで復活されていのちの主となられた
イエズス様は、わたしたちに「新しいいのちの道」を開いてくださいました。
こうしてわたしたちもめいめいがその新しいいのちの主人公となります。
聖書の言葉にあるように、同じ火(聖霊)が炎の舌に分かれて、一人一人の上にとどまられる
からです。
もう一つのポイントは、前のポイントとつながっています。
めいめいが異なる言葉を語ることです。つまり、わたしたちは一人一人ユニークな形で芽生え、
ユニークな花を咲かせ、ユニークな実をもたらします。
つまり、皆が異なる使命をもって、同じ霊にあずかっています。
使徒パウロが、この教会の神秘について次のように言います。
しかし、わたしたち一人一人に、
キリストの賜物のはかりに従って、恵みが与えられています。…
そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、
ある人を牧者、教師とされたのです。
こうして、聖なる者たちは奉仕の業に適した者とされ、キリストの体を造り上げてゆき、
ついには、わたしたちは皆、神の子に対する信仰と知識において
一つのものとなり、成熟した人間になり、キリストの満ちあふれる
豊かさになるまで成長するのです。
(エフェソ 4・7、11〜13)
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
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