見えないイエズスさまは見える司祭の姿のうちに
―主任司祭メッセージ 12/6―


 ミサが行われるとき、イエズスさまはご自分の祭司職にわたしたちを加えて、ご自分をおささげに
なりますが、これを可能にするのが司祭の奉仕ですね。すこし説明しましょう。

 叙階による祭司職の秘跡は、ご自分の教会へのイエズスさまの贈りものです。司祭の奉仕を
通して、わたしたちは常に「来られる神さま」に出会うことができ、その出会いによって神さまの
いのちにあずかることができます。このいのちの「泉と頂点」は、エウカリスチア(ご聖体の秘跡)
つまりミサです。
 司祭がなければミサもありません。

 司祭の奉仕を通して行われる七つの秘跡によって、イエズスさまは、わたしたちとご自分を一つにし、
そのいのちにあずかるものとして下さいます。

 入信の三つの秘跡として知られているのは、まず洗礼、次は堅信、そしてエウカリスチアです。
 洗礼を通して、わたしたちはイエズスさまのいのちに「生まれ」、堅信を通して、聖霊のおくりものを
いただくことにより、そのいのちを証しするために「強め」られます。それからエウカリスチアによって、
イエズスさまご自身がわたしたちを「養って」くださいます。
 続いていやしの秘跡が二つあります。それは、ゆるしの秘跡と病者の塗油の秘跡です。
さらに結婚の秘跡によって、イエズスさまは夫婦愛をご自分の愛にまで高め、そのいのちに
夫婦を加えてくださいます。
 またイエズスさまは、叙階の秘跡を通してその体である教会の頭として愛をもって治めて
下さいます。

 ご存じのように、司祭は自分の家庭をもたず、独身で奉仕の生涯を送ります。
その理由は、イエズスさまと同じように教会と結婚しているからです
(参照 エフェソ5・21〜33)
それを示すしるしがありますが、それは司教様がはめる指輪です。
 つまり司祭たちは聖別された生涯によって、キリストとユニークな形でつながり、
その奉仕を忠実に行います。それは、イエズスさまが教会のために、その愛の奉仕をふさわしく
「見える姿」で行うためです。

 ここで、近づくクリスマスにあたり、来られるイエズスさまをふさわしく迎えることができるように、
「司祭の姿を通して来られるキリスト」に気づかせていただきたいと思います。
 コロナ禍にあってさまざまな制約がありますが、秘跡によって私たちのもとに来られる
イエズスさまを喜んで迎えることができるように、おすすめしたいと思います。

 さらにお願いですが、司祭の方々のためにも祈りましょう。
 実はキリスト信者の生涯そのものは、キリストの恵みによる奇跡ですが、司祭の場合は、
何倍もの奇跡です。
 忠実でよい司祭の姿から、聖別された生涯を送る召し出し(召命)が生まれ、また恵みによる
秘跡によって、教会全体が「来られるキリスト」の輝かしいしるしとなるでしょう。
 こうしてパウロのお言葉も実現されます。

だから、わたしの愛する人たち、…
何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。
そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、
よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、
世にあって星のように輝き、
いのちの言葉をしっかり保つでしょう。
(フィリピ 2・12〜16a)

 これこそイエズスさまご自身が私たちに与えられたミッションです。イエズスさまも次のように
言われます。

「あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。…
そのようにあなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々があなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」
(マタイ 5・14、16)

 この待降節を「救い主を待ち望む心」を呼び覚まして歩みましょう。 また来週!







カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

しばらくの間、ミサそのものをテーマにしてメッセージを続けていきます。


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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