いつも喜んでいなさい
―主任司祭メッセージ 12/20―







 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。
(Jテサ 5・16a)


 朝日のようにクリスマスはこころに光をもたらし、また喜びをもたらしてくださいます。
 実はクリスマスの時だけ、世界中の人々は喜ぶために集まってきます。それはきっと、みんなの心の
祈りであるからでしょう。
 この喜びは騒がしい喜びではありません。騒がしい喜びは、消えれば空っぽになります。
 
クリスマスの喜びは、豊かにあふれるほどにこころを満たしてくれますから、そこに不思議を感じます。
この驚きは、わたしたちも喜びのもととなれることの驚きです。

 わたしたちの毎日は死の恐れによって支配されていて、どんなことをしても必死にいのちを死から
守ろうとしています。例をあげると生命保険の心で生きているみたいですね。

 神さまのおくりものは、新しいことに目覚めさせ、いのちを「与える」喜びに目覚めさせてくれます。
クリスマスの光は信仰の光です。この「新しい太陽」のもとで輝く光は、真夜中に羊飼いのために
輝いた光であり、また博士たちを照らし導いた星の光でもあります。

 飼い葉桶の幼子、わたしたちへの神さまの「おくりもの」になってくださる主である神さまを見て、
わたしたちもそこから学んで、わたしたちが「おくりものになる恵み」をいただくのです。

 信仰の光に目覚めさせてくれるものは、天からの天使の言葉であって、それに信頼して旅立つ
ようにわたしたちを促してくれます。
 
その旅立ちで何を見つけるでしょう?
 普段の感覚から言えばあまり変わらないことかもしれませんが、例えば貧しさ、もろさ、限界、
病気などに満ちたわたしたちの毎日の世界ですが、それは、馬小屋の飼い葉桶におられる神さまの
姿です。けれども信仰の光から見ると、そこには大きな「平和」があります。平和がある理由は、
この方々、つまりマリアさまヨセフさま、イエズスさま、羊飼いたち博士たちが、生々しい「人間の
貧しい姿」を信仰の光で見ているからです。
 この平和を世界中の人々が「知る」ことができたら、本当のクリスマスの喜びを知ることになるでしょう。

 人間となられた神さまは、人間の弱い存在そのものが「聖なるもの」であることを、おしえて
くださいました。それによって、あの「まことの喜び」をわたしたちにもたらしてくださいました。
 つまり、ご自分を小さくされて、「愛を必要とする存在」となられることによって、わたしたちが
神さまご自身を愛する喜びの道を開いてくださいました。
 
ここには、人間のまことの尊さがあって、またその喜びのまことの泉があります。

 クリスマスがもたらすこの恵みについて、パウロが語る勧めを、こころに留めたいと思います。

…わたしたちの救い主である神の慈しみと、
人間に対する愛とが現れたときに、
神は、わたしたちが行った義の業によってではなく、
ご自分の憐みによって、わたしたちを救ってくださいました。
この救いは、聖霊によって新しく生まれさせ、
新たに造りかえる洗いを通して、実現したのです。

(テトス 3・4〜5)


 わたしたちと共に世界中の人々も、クリスマスがもたらしてくれる「希望のよろこび」と「まことの
平和」を味わうことができますように、わたしたちのために「人間となられた」神さまの恵みを
飼い葉桶を囲んで願いたいと思います。

クリスマス おめでとうございます!
また、恵みの年をお迎えくださいますように。



 このメッセージは今年最後のものです。来年は1/10から始めます。


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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