イエズスさまがくださる平和とは
―主任司祭メッセージ 1/24―


 

 ヨハネの福音書にある あのイエズスさまの「平和の約束」のことばは、次のとおりです。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。
わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。…」
(ヨハネ 14・27a)

 ミサの中でもこの約束を思い出して、その続きに次のようにあります。

…わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み、
おことばの通り教会に平和と一致をお与えください。 と。
(教会に平和を願う祈り

 つまり、平和は人のわざではなく、まことの平和は 信仰が可能にしてくれる神さまからのおくりもの
です。神さまの平和は、わたしたちの「罪を赦してくださる」というおくりものです。平和の道、それは
赦し合う愛の道です。この道を開いてくださる方は、「平和の君」でおられるイエズスさまです。
イエズスさまを信じ、神の小羊に従って歩むことですね。

その翌日、また、ヨハネはふたりの弟子と一緒にいた。
歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
(ヨハネ 1・35〜36)


 平和を願う教会の祈りは、ミサの中に何度もあります。

 1. 開祭のときに、司祭は「主は皆さんとともに」とあいさつしますね。神さまがくださる「平和」=
キリスト(主)が皆さんと「ともにいてくださる」と宣言するのです。また、その平和にあずかるために、
洗礼の回心、つまりキリストを信じる心を「新たにする」ようにと回心への招きをします。

 2. 栄光の賛歌はキリストの降誕を告げた天使のことばから始まります。

天のいと高きところには、神に栄光、
地には善意の人に平和あれ。

 3. 福音書を宣言する司祭は、平和の君であるキリストによるあいさつを繰り返し、「福音」
そのものでおられるキリストのことばを唱えます。

 4. 同じあいさつが奉献文の始まりにもありますが、その後教会の信仰を表す すすめのことばが
あります。「心をこめて神を仰ぎ、…」とすすめられますね。それは、天を仰ぎ見る心の目をくれるのが
信仰だからです。

5. 聖変化の後にくるアナムネシス(記念唱)の祈りは、教会の「平和への祈り」のこころを
よく表現しています。キリストの愛のささげものに加えられて、わたしたちもキリストと一つに
なりますように、と。

キリストの御体と御血にともにあずかるわたしたちが、
聖霊によって一つに結ばれますように。

 ここにこそ、キリストがわたしたちにもたらしてくださる平和があります。

 6. 主の祈りは、天の御父にお願いすべきことが具体的に教えられています。主の祈りに続く
副文の中で、教会もその祈りを具体的にして次のように願います。

いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、
現代に平和をお与えください。
あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、
すべての困難にうち勝つことができますように。

 ここには、教会が願うまことの平和がどうして神さまのおくりものであるのかが、よく表現されて
います。平和は人間がつくるものではなく、人間のこころの中に働く罪の「神さまからの赦し」に
よるものです。そればかりか、「すでに」その平和は、キリストを信じるわたしたちに与えられています。
そのためにわたしたちは、平和のあいさつを交換することさえもできるのです。
こうして続いて、平和の賛歌を唱えます。

…神の小羊、
世の罪をのぞきたもう主よ、われらに平安をあたえたまえ。

 7. ご聖体拝領で、平和の君キリストと一つになるときこそ 幸い(さいわい)がありますから、司祭の
招きは次のようになります。

神の小羊の食卓に招かれたものは幸い。

 この平和を味わったわたしたちは、キリストの平和をたずさえて、さらにまわりの人々へと派遣
されます。その平和を伝えるためです。

行きましょう、主の平和のうちに。






 また来週!

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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