病人の内にもキリスト
―主任司祭メッセージ 2/14―


 

 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、
彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
そこで、王は…言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、
天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、
旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、
牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、
飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、
のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。…
いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
(マタイ25・31〜34a、39〜40)

 人間となられた神さまは、人間であるわたしたち 皆の兄弟となられました。
 アシジの聖フランシスコは、わたしたちと共に太陽も月も星も火も…みな わたしたちの兄弟と
呼んでいます。わたし自身は、子どもの頃読んだ聖フランシスコのエピソード“グッビオの狼の話”が
印象に残っています。彼は、皆が恐れていたグッビオの狼も兄弟として見ていました。
 こうして、人間とともに宇宙にあるすべてのものが、キリストのおかげで神さまがくださる平和に
与かるものとなっています。「癒し(いやし)」と「ゆるし」が含まれているので、キリストによる平和は
「和解」と言われ、恵みである人の回心によって実現されるものです。
 パウロは次のように言います。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、
わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。
すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、
ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、
神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
(Jコリント1・22〜25)

 一年前から世界中のコロナ感染爆発のために、わたしたち皆が病気になる危険と病気を感染
させる可能性があり、世界中皆がコロナになったような経験をして、不安におびえています。
 言ってみれば、このコロナ感染は、人の心が罪にとらえられている しるしとも言えるでしょう。
罪は、わたしたちが「兄弟である喜び」を奪うものです。
 しかし、罪に勝たれたキリスト その勝利のおかげでわたしたちは「キリストの平和」をあらためて
味わうことができます。
 今わたしたちは皆、十字架上のキリストの痛みを味わっていますが、「十字架の神秘」を信じる
わたしたちにとって、今をむしろ「恵みのとき」「愛する心を新たにして学ぶとき」とできればいいですね。
 このときこそ、わたしたちの中におられる病者となられたキリストに出会うことができるからです。

十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、
わたしたち救われる者には神の力です。
(Jコリント1・18)

 わたしたちが今体験しているこの苦しみは、四年前のパリのノートルダム大聖堂の火事のようなもの
かもしれません。キリストの十字架と同じように、これは、わたしたちを信仰による平和と喜びを深める
「回心」へと導く恵みといえるでしょう。ノートルダム、それはマリア様を示す名前であることをご存じで
しょうか。そのマリア様の御像は、この災害をかろうじて免れたそうです。
 マリア様がわたしたちの痛みとともに、わたしたちの回心のこころをイエズスさまの御手にのせて
下さり、司祭の言葉によって、わたしたちのために、キリストの御体と御血に変えてくださるようにと
祈りたいと思います。

 ロザリオの祈りの後に行う連願から、いくつかを思い出させていただきます。

   聖マリア          わたしたちのために祈ってください
   教会の母         わたしたちのために祈ってください
   病人のいやし       わたしたちのために祈ってください
   罪びとのよりどころ    わたしたちのために祈ってください
   悲しむ人の慰め     わたしたちのために祈ってください
   キリスト信者の助け   わたしたちのために祈ってください
   平和の后(きさき)     わたしたちのために祈ってください

 また来週!




カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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