こころのいのちを育てる「しるし」の神秘
―主任司祭メッセージ 2/28―


 

 日本語学校に通っていたころ、初めて知った表現があります、「ほんのしるしまでに」。
 「しるし」は、見えないこころを見えるようにするものです。「しるし」を理解するには信仰が
必要です。
 この間のメッセージ(2/14)のパウロの言葉を思い出しましょう。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、
わたしたちは、
十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。
…召された者には、
神の力、神の知恵であるキリストを
宣べ伝えているのです。
(Jコリント1・22〜23a、24b)

 「しるし(奇跡)」も「知恵」も見えない世界とわたしたちをつないでくれるもので、その世界は
神秘に満ちたものですが、キリストが与えてくださる「しるし」は、新しさに満ちた「しるし」、新しさに
満ちた「知恵」で、私たちの「いのち」に欠けてはならない「心の感覚」を養うものです。
 
福音書に次のエピソードがあります。ある人がイエズスさまに「しるし」を願います。その時、
イエズスさまは次のようにお答えになります。

「…ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、
人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。」
(マタイ12・40)

 ヨナの話はヨナの書(旧約聖書)にありますが、ヨナは罪深いニネべの都を回心に導くために、
神さまがおくられた預言者ですが、そのミッションをふさわしく果たすために、ヨナは海(悪の力が
働くところ)から救われる体験をしなければなりませんでした。ヨナは大魚の中で三日三晩、過ごし
ましたね。
 
福音書の他の箇所にイエズスさまは同じことを教えてくださいます。

「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。」
(ヨハネ12・24)

 つまり、イエズスさまが教えてくださるわたしたちを救う知恵は、「死を通っていかなければならない」
という いのちの神秘です。
 マザーテレサは次のように言いました。

『与えるときには 痛むまで与えなさい』  また
『愛を養うこころのいのちを育てるために、「しるし」となるささげもの(いけにえ)がいります』  と。

 イエズスさまが教会に委ねられたミサも、「しるし」を通して行われる信仰の神秘であり、
キリストの死と復活にあずかる恵みです。

 コミュニケーションという言葉がよく使われますね。もともとは「一致をつくる」意味がありますが、
残念ながら「情報を伝える」だけの浅い意味でしか一般的に使われていません。しかし、この
言葉は「こころを養い 育てる」という深い意味があります。
 
この言葉を教会語として使うとき、「交わり」と言い、神さまとわたしたちとの一致に導く意味で
「コムニオ」と言われます。そのため聖体拝領も「聖なるコムニオ」と言われます。わたしたちの回心
によって、神さまのこころとの一致に導くからです。

 ヨハネの手紙から学びましょう。

初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、
目で見たもの、よく見て、
手で触れたものを伝えます。
すなわち、命
(いのち)の言(ことば)について。
―この命は現われました。御父と共にあったが、
わたしたちに現れたこの永遠の命を、
わたしたちは見て、あなたがたに証しし、伝えるのです―
わたしたちが見、また聞いたことを、あなたがたに伝えるのは、
あなたがたも
わたしたちとの交わりを持つようになるためです。
わたしたちの交わりは、御父と御子イエス・キリストとの交わりです。
(Jヨハネ1・1〜3)

 愛は、「ささげもの」のしるしを通して わたしたちのこころのいのちを養うものです。愛の道に導いて
くださるのがキリストです。キリストの上に御父がその「証印」を押されたからです。
 ヨハネ福音書に次のようにあります。

「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、
永遠のいのちにいたる食べ物の
ために働きなさい。
これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。
父である神が、人の子を認証されたからである。」
(ヨハネ6・27)

 パウロはさらに教えてくださいます。

神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。
それで、わたしたちは神をたたえるため、この方を通して「アーメン」と唱えます。
わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、
わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。
神はまた、わたしたちに証印を押して、
保証としてわたしたちの心に“霊”を与えてくださいました。
(Kコリント 1・20〜22)

 こうして、わたしたちの日常である出来事の上にも、神さまの愛の証印が押されています。
実は神さまが造られたものの上には、初めからその証印が押されています。
 詩編には次のようにあります。

天は神の栄光を物語り 大空は御手(みて)の業を示す。
昼は昼に語り伝え 夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく 声は聞こえなくても
その響きは全地に その言葉は世界の果てに向かう。
(詩編 19・2〜5)

 キリストを信じるわたしたちには、神さまの証印が押される特別な時があります。それは秘跡の時
です。洗礼と堅信の証印を表す式は、司式者が聖香油でその人の額に十字架のしるしをします。
叙階の場合は、手のひらの上に同じことを行います。それは、キリストの「しるし」である司祭が、
その手を通して わたしたちのささげもののしるしとなる パンとぶどう酒を御父にささげるからです。

 最後にマザーテレサの言葉をもう一つ紹介させていただきます。

『痛むまで愛すれば その後はもう痛みが消え、愛だけが残る』

 四旬節を通して、このこころを鍛えるよう願いましょう。 






 また来週!

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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