聖なるミサの大いなる「アーメン」
―主任司祭メッセージ 3/21―

 

 「アーメン」は、教会の祈りの中によく使われる言葉ですが、「真実」「本当」「まこと」であることを
意味します。「アーメン」は、その真実にわたしたちが「承諾する」ことです。
 パウロの手紙に次のようにあります。

わたしたち、つまり、わたしとシルワノとテモテが、
あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、
「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。
この方においては「然り」だけが実現したのです。
神の約束は、ことごとくこの方において「然り」となったからです。
(Kコリント 1・19〜20)

 「然り」つまり「アーメン」は、神さまの呼びかけへの人間の根本的な承諾(応え)です。神さまの
愛の御はからいへの100パーセントの賛成です。
 そのために、主の祈りは、三回もその御こころの実現を願う祈りとなっています。

 ミサもこの心を養い、支え、導くものです。
 その中心となる奉献文は、父なる神さまへ向かっており、今、ここで、御子の「アーメン」を
わたしたちのために新たに実現する祈りですね。そのために聖霊を送っていただき、わたしたちも
御子の救いにあずかることができるように という祈りです。
 この奉献文の祈りのまとめとなる栄唱は、

キリストによって キリストとともに キリストのうちに、
聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、
すべての誉れと栄光は、世々にいたるまで、

 となって、次に集会の「大いなるアーメン」で承諾されます。
 ひと言で言えば、全世界がわたしたちのこの「アーメン」を待ち望んでいます。この「アーメン」に
よって、今、ここで、世界中に及ぶキリストの救いが実現されるからです。

 キリストの体である教会の中で、キリストの「アーメン」に続いて、わたしたちの模範となる
「アーメン」は、マリアさまの「アーメン」です。

 実は、マリアさまの「アーメン」がなかったならば、神さまの救いの御はからいも人類の歴史の中に
実現することはなかったでしょう。
 教会は、イエズスさまとマリアさまの「アーメン」を記念する「神のお告げ」の祭日を、毎年3月25日に
お祝いします。
(参照:ルカ1・26〜38) 

 マリアさまの「神のお告げ」の祭日にあたって、聖ベルナルドの言葉を思い出しましょう。

  『あなたはお聞きになったのです。ひとりの男の子を身ごもり、産むということを。あなたはお聞きに
  なったのです。このことが実現されるのは、人ではなく聖霊によるということを。天使はあなたの
  答えを待っています。自分を遣わした方のもとに帰る時間が迫っているからです。ああ、婦人よ、
  わたしたちもまた、罰の宣告を受けた者として、あなたの承諾の言葉を待っているのです。…

  全世界も…、あなたの膝元に身をかがめて待っているのです。不幸な人の慰め、
  捕らわれ人の解放、罰せられた者のゆるし、アダムのすべての子ら、すなわちあなたと結ばれて
  いる全人類の救いが、あなたの言葉にかかっていることを思うとき、その願いはむしろ当然なこと
  なのです。処女よ、早く答えてください。一刻も早く天使に答えてください。天使というよりは、
  むしろ天使を通して主に答えてください。言葉を出して、神のことばを受け入れてください。
  あなたの言葉を出して、神のことばを宿してください。消え去る言葉を出して、
  永遠のことばを抱いてください。…

  幸いな処女よ、信仰に心を開き、承諾のために唇を、造り主に胎を開いてください。
  諸国の民から期待されていた方は外に立ち、あなたの門を叩いておられます。…

  そこでマリアは、「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身になりますように」と
  答えたのでした。』
 
(毎日の読書;聖ベルナルド修道院長の『聖母賛美』より)

 

 ミサの時も、またわたしたちの毎日の中でも、御子の大いなる「アーメン」にいつも加えていただけ
ますよう、マリアさまの取り次ぎをお願いしたいと思います。
 



 また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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