「主の日」を人類とともに祝う教会
―主任司祭メッセージ 4/4―

 

 「主の日」、それは主が死から復活された日です。
 
ご復活祭の日の喜びの「わけ」は、主イエズス・キリストによる唯一の「救い」のよい知らせに
あります。
 
今日こそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに、 と教会はうたいます。
 
その日について、主の復活の告知の最初のことばは、聖書にすでに含まれています。

(マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、)
…週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ、墓に行った。
(マルコ 16・2) 

と、マルコ福音書に書かれています。

 神さまは7日間で世界を創造されました。それと同じように、「週の初めの日」は主イエズス・
キリストの復活によって「新しい創造の始まり」を示す日であるからです。
 
この日こそ「主の日」と言い、「沈むことを知らぬ明けの星、キリスト」であり、「終わりのない日」
です。
 
さらに、その“週の初めの日”の話は、ルカのエマオの話とつながっています。

ちょうどその日、…一行は目指す村に近づいたが、
イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
二人が、「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、
もう日も傾いていますから」と言って、
無理に引き止めたので、
イエスは共に泊まるため家に入られた。
いっしょに食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱え、
パンを裂いてお渡しになった。
(ルカ 24・13a、28〜30)

 つまり「主の日」は、エウカリスチア (聖体の秘跡) の恵みによってこそ、「終わりのない日」と
なっています。

 今日のご復活祭のメッセージを教皇ベネディクト16世の書簡「愛の秘跡」から引用して、
少し深めてみましょう。

   キリスト教共同体は初めから、主日に「パンを裂く」(Fractio panis)ために集まりました。
   旧約の伝統はこの日を創造の初めの日と考えました。創造の日は、今や「新しい創造」の日、
   
すなわちわたしたちの解放の日となります。この日にわたしたちは死んで復活した
   
キリストを記念するからです。

 さらに、わたしたちが「聖体によって新しいいのちを味わう」ことについて、次のように書かれて
います。

   主イエスはわたしたちのために真理と愛の食物となりました。そして、ご自身のいのちを
   
与えると述べて、わたしたちに約束しました。「このパンを食べるならば、その人は永遠に
   生きる」
(ヨハネ6・51)この「永遠のいのち」はすでにこの世においてわたしたちのうちに始まって
   います。わたしたちは聖体のたまものによって造り変えられるからです。
   
「わたしを食べる者もわたしによって生きる」(ヨハネ6・57)。 と。

   このことに関連して、聖パウロのローマの信徒へのことばは、聖体がどのようにわたしたちの
   
生活全体を神に喜ばれる霊的礼拝とするかをきわめて簡潔に言い表します。「こういうわけで、
   
兄弟たち、神のあわれみによってあなたがたに勧めます。自分のからだを神に喜ばれる聖なる
   
生けるいけにえとしてささげなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12・1)

 この「新しい礼拝」とは、エウカリスチアつまりミサですね。

   キリスト教の新しい礼拝は、あらゆる側面にあたって生活を造り変えます。「だから、
   あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を表すために
   しなさい」
(Jコリント10・31)キリスト信者は、すべての行いにおいて神にまことの礼拝をささげる
   よう
招かれています。ここに、キリスト教的生活の本質的に聖体に生かされた性格が明らか
   になります。

 最後に、「あえて主の日に象って生きる」のが、キリスト信者の姿であることさえ、パパ様は教えて
くださいます。

   キリスト信者は初めから、聖体が人間生活に根本的に新しい要素をもたらしたことを
   はっきりと
自覚していました。信者はすぐに、感謝の祭儀が自分たちの生活様式に深い
   影響を与えたことを
認めました。アンティオキアの聖イグナチオ(110年頃没)もそのことを
   述べます。すなわち彼は、
キリスト信者を「希望の新しさのもとに至」った人と呼び、
   彼らは「主の日を守って生きる者
(iuxta dominicam viventes)」といいます。偉大な
   アンティオキアの殉教者が述べたこのことばは、
聖体とキリスト信者の日常生活の
   つながりを明らかにします。


   キリスト信者はつねに主日を週の第一日と考えてきました。なぜなら主日は、キリストが
   もたらした根本的に新しい要素を記念するからです。それゆえ、主日は、キリスト信者が
   たえず生きるよう
招かれた聖体に生かされた生き方を再発見する日です。「主の日を
   守って生きる」ことは、
キリストがわたしたちを解放してくださったことを自覚し、生活の
   中で神に自分をささげながら
生きることです。それは、生活の深い意味での刷新を
   通して、神の勝利が全人類に表されるためです。
   
(参照:「愛の秘跡」 37番,70〜72番)


 ご復活祭、この「主の日」の喜びを申し上げるとともに、人類も主の豊かな救いにあずかり、
平和の道を知ることができますように、ご一緒に祈りたいと思います。 






 また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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