「良い羊飼い」イエズスさま
―主任司祭メッセージ 4/25―



「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のためにいのちを捨てる。」
(ヨハネ 10・11)

 このイエズスさまの言葉に、わたしたちが祝う復活節の「新しさ」のすべてがよく表されています。

 他の箇所でもイエズス様は同じように、ご自分について次のように言われます。

「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
(マルコ 10・45)

 こうして「良い羊飼い」(良い牧者)がテーマである復活節第4主日は、「新しさ」に満ちた復活節の
喜びの泉がどこにあるかを教えてくれます。つまり、この「新しさ」は、人が神さまに何かを献げるのでは
なく、「神が人のためにご自分のいのちを捧げてくださる」というところにあります。ここにまことの「新しさ」
があります。ここに、「先に」わたしたちを愛し、その愛の道に導いてくださる神さまがおられます。
 
わたしたちは普段、何かをもらうために何かをあげることをしがちで、神さまに向かっても同じことをし
ようとします。しかし、イエズスさまは、「ただ」そのいのちをわたしたちに捧げられたのです。
 
ペトロの手紙にあるように、

キリストもあなたがたのために苦しみを受け、
その足あとに続くようにと、模範を残されたからです。  と。
(Jペトロ 2・21b)

 イエズスさまを模範とするために、わたしたちはイエズスさまをどこに探せばよいのでしょう。イエズス
さまに出会い従うために、わたしたちには教会に預けられた「七つの秘跡」があります。
この
「七つの秘跡」によって、わたしたちはイエズスさまに出会い、生きておられるお方の新しいいのちに
生まれ、生き、成長し、永遠のいのちの実を結ぶことができます。イエズスさまは、この七つの秘跡の
中に「良い羊飼い」としておられ、いのちの恵みを与えてくださるのです。
 
「七つの秘跡」を表すものとして、昔から岩、あるいはゴルゴダの丘で十字架につけられたイエズス
さまのわき腹から流れ出る七つの水の流れ などがあります。またエデンの園のいのちを潤す四つの
川もそれを表しています。
 
イエズスさまご自身の言葉にも、これを思い出させてくれる言葉があります。
 
サマリアの女にイエズス様は次のように言われます。

「もしあなたが、神の賜物を知っており、
また、『水を飲ませてください』と言ったのが、だれであるか知っていたならば、
あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」

「この水を飲む者は誰でもまた渇く。
しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。
わたしが与える水はその人の内で泉となり、
永遠の命に至る水がわき出る。」
(ヨハネ 4・10b、13b〜14)(参照:ヨハネ 7・37〜39)




 「七つの秘跡」の順序は次のようになっています。

 まず、「入信の秘跡」といわれる「洗礼・堅信・聖体」の三つの秘跡があります。続いて、
「いやしの秘跡」ともいわれる「ゆるしの秘跡」と「病者の秘跡」があります。最後にいのちに関わる
「叙階の秘跡」と「結婚の秘跡」です。つまり、この世に生まれるいのちに関する秘跡は「結婚の
秘跡」と言い、良い牧者であるキリストによってわたしたちを神の家族とする秘跡が「叙階の秘跡」
で、いのちを生み、養い導くことに関わる秘跡です。
 
実は「良い牧者」キリストがその秘跡を通して、わたしたちを神の子どもとしてくださる「いのち」は、
創造の初めから神さまが望まれたことでした。人間だけをご自分に象って造られたからです。
 今わたしたちは、キリストがくださる恵みにより、そのいのちに新しく生まれる者となっています。

 今日の「良い羊飼い」をテーマとする日曜日は、この「叙階の秘跡」の恵みを思い出し、司祭の
方々のために祈りたいと思います。毎年パパ様はこの日を「世界召命祈願の日」と定められ、
世界中にメッセージを届けられます。横浜教区地方教会であるわたしたちには、以前から司祭を
支える「一粒会」が設けられ、活動しています。
 
司祭職を通して教会の中で行われる奉仕は、「司牧」と言い、司祭たちが「良い羊飼い」キリスト
と一体になって、この奉仕を行います。こうして司祭は、「よい羊飼い」キリストと同じように、その羊の
ためにいのちを捨てるこころを持って教会に仕えています。
 
この日にこそ「叙階の秘跡」を感謝し、司祭の方々のために祈りたいと思います。




 また来週!




カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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