この地上に仮住まいする間

  ―主任司祭メッセージ 9/5―

ヤドカリ

 わたしたちが、今日とまたしばらくの間テーマにしたい言葉は、「この地上に仮住まいする
間」
(Jペトロ1・17)です。 このテーマは主の祈りに「天におられるわたしたちの父よ」としっかりと
根づいています。
 ペトロの手紙は次のように続けます。

また、あなたがたは、人それぞれの行いに応じて公平に裁かれる方を、
「父」と呼びかけているのですから、
この地上に仮住まいする間、その方を畏れて生活すべきです。
(Jペトロ1・17)

 ペトロの文章は、日本語に大変うまく訳されていると感じています。わたしたちの地上の生涯
は皆、時間の中に置かれていて、その時間のうちに始まり、死に向かっていくからです。
 けれども信仰の光に照らすと、わたしたちのこの時間は父に向っていく旅路を示し、そこには
安定した父の家があります。それは目的地として望んでいる一時的ではない「永遠の住まい」です。

 この旅路の良い友となり、「道」となられたお方はイエズスさまで、わたしたちに先だって今は
父のもとでわたしたちを迎え入れてくださいます。

 面白いと思うもう一つの点は、日本語で「仮住まい」と訳された言葉は、ギリシャ語ではもともと
「旅する教会」を示す言葉で、「小教区」もその言葉で呼ばれていました。ギリシャ語の「仮住ま
い」とは、「パロイケ」と言い、今の英語のparishのもとの言葉です。わたしたちの住所を英語で
言えば、Parish of Yurigaoka となります。
 つまり、わたしたちを「教会」として集めてくださるイエズスさまは、旅の途中のわたしたちを、
いつでもどこでも「神の家」として集めてくださいます。
 イエズスさまは言われました。

「…二人または三人がわたしの名によって集まるところには、
        わたしもその中にいるのである」
(マタイ18・20)  と。

 ですがイエズスさまがわたしたちを具体的に集めてくださるには、安定した建物もいります。
わたしたちはそこでイエズスさまと共にいて、イエズスさまもわたしたちと共に居てくださるためます。
 この場所は、キリストさまの「肉」のしるしです。ヨハネの福音書に次のようにあるとおりです。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られ(幕屋を張られ)た。
わたしたちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
(ヨハネ1・14)

 この「わたしたちの間に幕屋を張られた」ことを参考にして、カトリック御殿場教会は「幕屋」
をコンセプトに建てられました。



カトリック御殿場教会

 詩編は、エルサレム(神の家)に向かって旅する熱心なイスラエルの巡礼者(旅する人々)に
ついて、次のように語ります。

 万軍の主よ あなたの住まいはなんと慕わしいことでしょう。
わたしの魂は主の庭に思い焦がれ、絶え入りそうです。
生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。
あなたの祭壇の傍らに小鳥さえも住みかを見つけ
つばめも巣をかけて、雛を育てています。
万軍の主、わが王、わが神よ。幸いな者、あなたの家に住む人は。
彼らは絶えずあなたを賛美します。
幸いな者、あなたを力とし 心の中に大路を敷く人は。
嘆きの谷を通る者たちはそこを泉に変えます。
秋の雨がそこをまた祝福して覆います。
彼らは力から力へと進み シオンで神にまみえるのです。
(詩編84・2〜8)

 続いてヘブライ人への手紙には、はっきり次のように教えられています。

わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、
来るべき都を探し求めているのです。
(ヘブライ13・14)

 そのために、ペトロはわたしたちを寄留者と呼ぶのです。

愛する人たち、あなたがたに勧めます。
いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、
魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
また、異教徒の間で立派に
(善さに満ちたの意)生活しなさい。
(Jペトロ2・11〜12a)

 今月、日本の習慣に合わせて教会の信者であるわたしたちが敬老の日をお祝いするに
あたり、わたしたちの生涯の旅路についてあらためて考える時も、信仰に照らして考えたい
ものです。
 パウロの言葉を参考にしておきたいと思います。

しかし、わたしたちの本国は天にあります。
そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、
わたしたちは待っています。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、
わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。
だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、
わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、
このように主によってしっかりと立ちなさい。
(フィリピ3・20〜4・1)

 

 では、また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン


* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。

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