イエズスさまとともに生きることを学ぶために
―主任司祭メッセージ 10/3―
イエズスさまと共に生きることを学ぶために、イエズスさまはわたしたちといつも共におられ
ます。(参照 マタイ28・20)
わたしたちは“この世”に生まれて自然とともに生きることを学び、それぞれの“家族”のもとに
生まれ、その家族の一員として生きることを学びます。さらにこの“日本の国”に生まれこの国
の人として共に生きることを学びます。イエズスさまによって “教会”に生まれ、イエズスさまと
ともに生きることを学びます。
イエズスさまを信じることによって、わたしたちは父の家で“兄弟”として生きます。
イエズスさまを信じることによって、イエズスさまはわたしたちをご自分の“教会”にして下さい
ます。
イエズスさまを信じることによって“教会”となったわたしたちは、神の国が来たことの“しるし”
となっています。
「新しい世界」が生まれました。みんなのための世界、壁など分け隔てのない世界です。
イエズスさまが用意してくださる食卓にみんなが招かれ、豊かにいのちをいただくための
新しい世界です。
今日は、イエズスさまを信じることによって生まれるこの“新しいこと(今までにないこと)”に
ついて考えたいと思います。
「見よ、わたしは万物を新しくする」
(ヨハネ黙示録 21・5)
わたしたちのまわりをみると、皆が“新しいこと”ではなく他のことに興味をもって過ごしてい
ます。目先のことだけをみて、毎日を暮らしているようですね。つまり、イエズスさまに無関心に
生きています。きっとイエズスさまをまだ知らないからでしょう。イエズスさまはわたしたちを幸せ
に導く本物の福音(グッドニュース)なのに…。
私自身もたまにテレビをつけながら仕事をしていて、何らかの理由でテレビの音が静かに
なるとほっとします。実は、心静かにしないとイエズスさまにも出会えないでしょうね。
この前お話しましたが、信仰は、わたしたちに「神さまの目」をくださり、わたしたちの毎日
を新しい目でみることができるようにしてくださる神さまからの“おくりもの”です。この「神さまの
目」でわたしたちの毎日を見ることができたら、毎日はどんなふうに変わってくるでしょうか。
いえ、毎日が変わるのではなく、わたしたちの心がどんなふうに変わるのでしょうか? きっと、
本当の幸せを知ることになるに違いありません。なぜならわたしたちが“神の子ども”である
幸せに目覚めれば、神の子どもと“ともに”生きていることに目覚めるでしょう。まだまわりの
人は神さまを知らないかもしれませんが…。でもわたしたちの行いを通して、彼らにこの
幸せを伝えることにも目覚めるでしょう。
わたしが日本に来てすぐ学んだ言葉は「お上手ですね」でした。日本の皆さんは、「上手」
という言葉を大切にするからでしょう。でもイエズスさまは、福音の中でこの言葉を使ったこと
は一度もありません。そのかわりに、もう一つの言葉をお使いになります。それは「善さ」を
協調することで、その源となるのは神さまです。
イエスが旅に出ようとされると、ある人が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。
「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」
イエスは言われた。「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。
神おひとりのほかに善い者はだれもいない」
(マルコ 10・17〜18)
つまりわたしたちは、行動の動機(モチベーション)を正すことによって幸せを見出すことに
なるのです。わたしたちの心の成長をつかさどるものは「善さ」であり「愛」ですね。イエズスさま
がくださる“いのちの力”です。つまり、イエズスさまを信じることによって、わたしたちの心に
“生きる新しい動機”が生まれます。それによってわたしたちに“新しい一致(コムニオ)”が
生まれ、イエズスさまの教会が生まれます。ミサの中でこの新しい一致を、いつもイエズスさま
が新たに“おこして”(生んで)くださいます。それによってわたしたちはますます“イエズスさまの
新しい教会”となっていくのです。
教会の一致をテーマにして、フランシスコ教皇 パパさまが、世界中における教会に「シノ
ドス」を呼びかけられて、10月17日がその始まりとなります。「シノドス」はイエズスさまのもとで、
いつも新たに“教会としての一致を見出す場”となることが目的です。この言葉はギリシャ語の
“SYN/一致”と“ODON/道”からなり、道であるキリストのもとで、「わたしたちの一致をおこす
場」ということです。
このシノドスのもとで、わたしたち世界中の教会が、“新しさに満ちた”教会となり、この“新しさ”
を証しすることができますように、ご一緒に祈りたいと思います。
カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン
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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。
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