イエズスさまの祈り(ミサ)に加えられて ―主任司祭メッセージ 10/10―
この祈りをいつも どこでもささげるようにと、イエズスさまが最後の晩餐のときに、使徒たちにお命じになりました。「これをわたしの記念として行いなさい」と。言葉を代えていえば、この祈り(ミサ)は、「わたし(イエズス)があなたがたとともにいて、あなたがたの祈りを『今』“わたしの祈り”にする」しるし(秘跡)です。 今日、このメッセージを通してミサの祈りに伴う献金にもふれたいと思いますが、この献金は、維持費やその他のお礼や教会への寄付などとは違って、ミサへのわたしたちの“参加”を表すささげものものです。 1.わたしたちの参加の“しるし”となるものは、奉納の時に祭壇に持っていくイエズスさまご自身が選ばれたパンとぶどう酒です。昔はパンとぶどう酒以外の他の物(貧しい人々のためになるもの)を持って信者がミサへの参加を表わすこともありました。今は、それを表わすものとして“献金”があります。そのことの意味を子どもたちに教えて、子どもたちを通して献金をおささげすることは大事なことです。こうして献金をすることは、イエズスさまの祈りに加えていただく“しるし”ですね。 第二バチカン公会議の典礼憲章からご紹介します。 (信者の参加) したがって、教会は、キリスト信者が、この信仰の秘儀に、外来者、あるいは無言の傍観者として列席するのではなく、儀式と祈りによってこの秘儀をよく理解し、聖なる行為に、意識的に、敬虔に、また行動的に参加し、神のことばによって教えられ、主のからだの食卓によって養われ、神に感謝をささげ、ただ司祭の手を通してだけでなく、信者も司祭とともに清い供え物を奉献して、自分自身を奉献することを学び、こうして、キリストを仲介者として日々神との一致と相互一致の完成に向かい、ついには神がすべてにおいてすべてとなるように全力を傾注しているのである。(典礼憲章48) 2.わたしたちのミサへの参加はわたしたちの祈りをふさわしいものとし、またこころの中にある祈りをイエズスさまの祈りと愛に加えていただきます。こういうわけで、イエズスさまの祈りに加えたい意向がたくさんある中で、亡くなられた愛しい方への祈りもこれに加えていただくのは、ふさわしいことです。 カトリック教会のカテキズムには次のように書かれています。 1370 キリストの奉献には、今この世に生きる人たちだけではなく、すでに天の栄光に入った人たちもともに参加します。(この地上のわたしたち)教会はいと聖なるおとめマリアに結ばれ、マリアやすべての聖人たちを記念しながらエウカリスチアのいけにえをささげます。エウカリスチアを行うとき、教会はいわばマリアとともに十字架のもとにたたずみ、キリストの奉献ととりなしとに結ばれるのです。 1371 エウカリスチアのいけにえは また、「キリストに結ばれて死に、まだ完全に清められていない」亡くなった信者が、キリストの光と平安とにあずかることができるようになるためにもささげられます。(カトリック教会のカテキズム 1370〜71) 3.では、ミサの意向を司祭に頼むこととはどんなことでしょうか。 それは、個人の意向を司祭がささげるミサに加えていただくお願いですが、その場合、司祭はそれを“自分の意向”として、皆のための「イエズスさまの祈り」に加えていただきます。ミサはいつも“イエズスさまの祈り”であり、それに加えていただく“キリストの体である教会”の祈りだからです。司祭が個人の意向を受けることができないときもあります。 たとえば、それが日曜日の場合です。その司祭に委ねられた民(たとえば百合ヶ丘教会の皆さん)のための意向がすでにあるからです。こうして死者のためだけでなく、他にもたくさんの意向が考えられます。例えば世界平和のため、病者のため、子どもの誕生日に恵みを願うためなどです。そのたびに個人として特別な愛をこめて参加することが大切です。 こんなに貴重な教会のあずかりものであり、イエズスさまご自身の祈りであるミサを大切にしたい。またその恵みにいつも感謝して、常にこのイエズス様の祈りに加えていただきたいと思います。 では、また来週! |