御顔を求めて 主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。(詩編27・8b) 新型コロナウィルスが出現してもうすぐ二年、この大きな「試練」に向かい合って社会はいろいろな行動を取りましたが、世界中はリーダーの指導に従ったり、我慢をしたりして今日まできました。
わたしたちの今の苦しみは、どのように現れているでしょうか。それは、特に信者としてイエズスさまの祭壇のもとに集うことができない という苦しみです。わたしたちは神さまの子ども、兄弟であることの「一致」を味わうことができなくなっている ということです。 「わかれる」ということについての英語のことわざが二つあります。 主よ、呼び求めるわたしの声を聞き 人は神さまの似姿に造られたからこそ、聖書には次の言葉があります。 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。 神さまのイメージで造られた人間は、愛でおられる神さまの似姿です。イエズスさまのお言葉に すれば、 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。 この神さまののぞみに背いた人間は、人に対してもつまずくことになり不幸せになりますが、心の深いところにはいつもその願い、「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」があります。 目に見える兄弟を愛さない者は、 こうしてこのコロナの経験は、相手の存在がどんなに貴重なものであるかを あらためて教えてくれたのだと思っています。 ここで信仰を新たにして、あらためてお勧めしたいことが三つあります。 1.まず、神さまに感謝すること。わたしたちがこの目で見えるのは人々の努力ですが、神さまは必ずわたしたちに見えない姿でこの出来事の中に働いておられるからです。 2.祈り 願い続けること、「試練」が乗り越えられますようにと。 「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。 とイエズスさまがそのご受難の始まりに祈られたように…。 3.さらに「試練」から学んだものを実行にうつすこと。たとえば、相手の尊さに目覚めること、人の 心とのふれあいの尊さに気づくこと、またみ旨のままに生きること。自分勝手ではなく「善さ」に満 ちた毎日を迎え入れておくることなど。 …「フィリポ、こんなに長い間いっしょにいるのに、わたしが分っていないのか。 神さまの御顔を見せてくれるのが信仰です。つまり神さまがくださる「心の目」です。その目をもって見れば、わたしたちを一つにしてくださる ご聖体のイエズスさまの御顔が現われてきますし、またわたしたちが毎日出会う人々についても同じことが言えます。 …『はっきり言っておく。 御顔を求めながら よい旅を続けましょう! |