御顔を求めて
  ―主任司祭メッセージ 10/17―

主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。(詩編27・8b)

 新型コロナウィルスが出現してもうすぐ二年、この大きな「試練」に向かい合って社会はいろいろな行動を取りましたが、世界中はリーダーの指導に従ったり、我慢をしたりして今日まできました。
 
これからどうなるのでしょう? まだわたしたちには分からないことが多くあります。この中で、イエズスさまを信じるわたしたちは、どういうふうにこのコロナの状況を迎え入れているのでしょうか。
 
実は、わたしたちにとって「試練」は、独特な形でイエズスさまの愛に出会い、その愛をもって生きることを学ための貴重な時である と教会の信仰は教えてくれます。イエズスさまのお言葉を思い出しましょう。
 
(イエスは言われた)「忍耐によって、あなたがたは命を勝ち取りなさい。」(ルカ21・19)

 忍耐


忍耐は「耐え忍ぶ」ということですが、この言葉は“passio ”から来ておりpassioはイエズスさまの受難を意味します。

パッションフルーツの花は、イエズスさまのいばらの冠と十字架の釘とハンマーに似ているところから、こう名付けられたそうですが、皆さんはご存じでしょうか?


 わたしたちの今の苦しみは、どのように現れているでしょうか。それは、特に信者としてイエズスさまの祭壇のもとに集うことができない という苦しみです。わたしたちは神さまの子ども、兄弟であることの「一致」を味わうことができなくなっている ということです。

 「わかれる」ということについての英語のことわざが二つあります。
 
深いかかわりがない場合は、“Out of sight out of mind.” (去る者 日々に疎し)
 
けれども深いつながりを持っている人がわかれる場合は、次のようになります。
 
“Distance makes the heart grow fonder.”(離れると 心はより恋しくなる)
 引用する詩編が言う通りです。

主よ、呼び求めるわたしの声を聞き
憐れんで、わたしに答えてください。
心よ、主はお前に言われる「わたしの顔を尋ね求めよ」と。
主よ、わたしは御顔を尋ね求めます。
(詩編27・7~8)

 人は神さまの似姿に造られたからこそ、聖書には次の言葉があります。

主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。
        彼に合う助ける者を造ろう」(創世記2・18) と。

 神さまのイメージで造られた人間は、愛でおられる神さまの似姿です。イエズスさまのお言葉に すれば、

 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。
(また)…隣人を自分のように愛しなさい。」
(マタイ22・37b~39)

 この神さまののぞみに背いた人間は、人に対してもつまずくことになり不幸せになりますが、心の深いところにはいつもその願い、「主よ、わたしは御顔を尋ね求めます」があります。
 
ヨハネの手紙に次のようにあります。

目に見える兄弟を愛さない者は、
目に見えない神を愛することができません。
(Ⅰヨハネ4・20b)

 こうしてこのコロナの経験は、相手の存在がどんなに貴重なものであるかを あらためて教えてくれたのだと思っています。
 この「試練」の重荷は、ことにわたしたちの中の最も弱い方々にのしかかることになりました。年をとった方々、病気の人々、子どもなど…。

 ここで信仰を新たにして、あらためてお勧めしたいことが三つあります。

1.まず、神さまに感謝すること。わたしたちがこの目で見えるのは人々の努力ですが、神さまは必ずわたしたちに見えない姿でこの出来事の中に働いておられるからです。

2.祈り 願い続けること、「試練」が乗り越えられますようにと。

「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。
      しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」(ルカ22・42)

とイエズスさまがそのご受難の始まりに祈られたように…。

3.さらに「試練」から学んだものを実行にうつすこと。たとえば、相手の尊さに目覚めること、人の 心とのふれあいの尊さに気づくこと、またみ旨のままに生きること。自分勝手ではなく「善さ」に満 ちた毎日を迎え入れておくることなど。
  
実は、神さまの御顔は遠くありません。身近なものであることを悟ることは大切でしょう。使徒フ ィリポへのイエズスさまのお言葉を思い出しましょう。

…「フィリポ、こんなに長い間いっしょにいるのに、わたしが分っていないのか。
わたしを見た者は、父を見たのだ。
なぜ、『わたしたちに御父を
お示しください』と言うのか。」
(ヨハネ14・9)

 神さまの御顔を見せてくれるのが信仰です。つまり神さまがくださる「心の目」です。その目をもって見れば、わたしたちを一つにしてくださる ご聖体のイエズスさまの御顔が現われてきますし、またわたしたちが毎日出会う人々についても同じことが言えます。

…『はっきり言っておく。
わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。』
(マタイ25・40)

 御顔を求めながら よい旅を続けましょう!
 では、また来週。


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。