わたしたちは「呼ばれた」者
主は母の胎にあるわたしを呼び 実は、わたしたちが知っている神さまは「語られる」神さまです。最近のパパ フランシスコの教えによると、わたしたちひとりひとりに対して神さまからの三つの呼びかけがあります。まず、いのちへの呼びかけ、続いて信仰への呼びかけ、最後にひとりひとりの人生への呼びかけです。 初めに言(ことば)があった。… 母の胎にいる子どもと同じように、わたしたちは初めから神さまと語り合って生きています。わたしたちは神さまの造られた世界の中にいて、神さまの言葉を「聴いて」その言葉に「応える」存在です。子どもが母との対話から、自分も言葉を語ることを学ぶように…。 主よ、あなたはわたしを極め わたしを知っておられる。 と詩編は語っています。 わたしたちを考えさせるイエズスさまの言葉が一つあります。それは、 「…あなたがたがわたしを選んだのではない。 と云うことばです。 実はわたしたちの毎日は、自分で計画を立て、自分で決めて生活を送ろうとしています。場合によってそれが不可能になると、「仕方がない」で終わりになります。それと違って、イエズスさまが教えてくださった祈りは、 「天におられるわたしたちの父よ、… またさらにイエズスさまは次のようにも言われます。 「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、 まことの幸せはどこにあるのでしょう。マリアさまご自身がエリザベトから言われた言葉は、次のようです。 「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、 わたしたちを教会にしてくれる信仰は「従順」を要(かなめ)としています。これがマリアさまを「幸いな者」とする信仰です。神さまの御心に賛成する心、つまり「従順」です。この心はイエズスさまにもあります。 キリストは、神の身分でありながら、 実は、この神さまの心を見分けるにあたって、わたしたちには「聞く耳がなければ…」なのですね。ことに日常の何かの欲望に心を奪われていたり、騒がしい中で生活していたりすると、なかなか聞こえてきませんね。 パパ フランシスコは「世界中における教会」のシノドスで、最も大切なわたしたちの態度は「耳を傾けること」と言われました。つまりわたしたちにとって「耳を傾ける」心はとても大事なことです。わたしたちみんなへの根本的な呼びかけは、ここにあるのではないでしょうか? では、また来週!
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