「聖なる者」のいのちに呼ばれて…
  ―主任司祭メッセージ 10/31―





 最初にキリストを信じた人々が「聖なる者」と呼ばれていたことをご存じですか?「キリスト者」(Christians)と呼ばれ始めたのは、異邦人の中に教会が生まれた時でした。

…このアンティオキアで弟子たちが初めて
キリスト者と呼ばれるようになったのである。
(使徒言行録11・26b)

 しかし、どちらの呼び方も日本の社会の中では理解されにくい言葉なのかな?と思います。

 ミサの奉献文の始まりとなる「叙唱」は、聖なるお方としての神さまのわざを賛美して、会衆はその賛美に加えていただいて、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな…」と唱えます。その後、司式者が次の言葉で続けます。「まことにとうとく すべての聖性の源である父よ、…」と。さらに聖変化の後、わたしたちもその聖性に加えられるために次のように祈ります。「キリストの御からだと御血に ともにあずかるわたしたちが、聖霊によって(キリストと)一つに結ばれますように。」(参考 第二奉献文)。
 
つまり、イエズスさまのミサの祈りに加えていただく度に、わたしたちはキリストと一つにされ、聖性の源である父(神)の聖性に加えられるように願い、そのわざの確信をいつも新たに味わう者です。

 ペトロの手紙に次のようにあります。

無知であったころの欲望に引きずられることなく、
従順な子となり、召し出してくださった聖なる方に倣って、
あなたがた自身も生活のすべての面で、聖なる者となりなさい。
「あなたがたは聖なる者となれ。わたしは聖なる者だからである」
と書いてあるからです。
(Jペトロ1・14〜16)

 洗礼によって「聖性」に呼ばれ 生まれたわたしたちは、その聖性に成長する者でもあります。
 さらにペトロは次のように語ります。

だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、
生まれたばかりの乳飲み子のように、
混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。
これを飲んで成長し、救われるようになるためです。
あなた方は、主が恵み深い方だということを味わいました。
この主のもとに来なさい。主は、人々からは見捨てられたのですが
神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。
あなたがた自身も生きた石として用いられ、
霊的な家に造り上げられるようにしなさい。
そして聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、
イエス・キリストを通して献げなさい。
(Jペトロ2・1〜5)

 成長は個人個人の力に合わせて実現されるものですね。個人の成長に欠けてはならない糧(贈り物 恵み)がミサですね。今回、ミサの中で個人の成長に関わるところを三つ思い出させていただきたいと思います。

1. 回心のところ…このときは個人の回心を表すために、「わたしたち」と言わず「わたし」と言い
ますね。「わたしは思い、言葉、行い、怠りによって、たびたび罪をおかしました。…」と。
2. 信仰宣言のところ…「わたしたち」ではなく「わたし」が信じますと宣言します。
3.最後にご聖体拝領の前…「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいて誰のところに行きましょう」と信仰告白をしますね。残念ながら日本語では、個人(わたし)がはっきりと表現されていませんが、もとの言葉は、百人隊長の次の言葉にあります。

「…わたしは あなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。…
ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。…」
(ルカ7・6b〜7)

 この言葉を参考に個人個人として、ご聖体を拝領します。

  「諸聖人」(11月1日)とそれに関わる「死者の日」(11月2日)は、神さまのいのちと希望に満ちた教会の祭日です。教会の信仰では、わたしたちは死に向かって死者の世界に行く道を進むのではなく、イエズスさまの死と復活によって、完全ないのち(永遠に続くいのち)への道を進んでいます。 教会の信仰宣言にあるように、(わたしは)「聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます」と。

 第二バチカン公会議の教会憲章にある言葉ですが、この世に生まれる人みなが、「聖性への普遍的召命を持っている(参照 教会憲章第五章)とあります。
 つまり「いのち」に呼ばれた人々はみな、「信仰」に呼ばれ また「聖性」へも呼ばれています。

さて、あなたがたは、キリストとともに復活させられたのですから、
上にあるものを求めなさい。
そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。
上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、
キリストと共に神の内に隠されているのです。…
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、
憐みの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
(コロサイ3・1〜3、12)

心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、
真理に基づいた正しく清い生活を送るように…
(エフェソ4・23)

 神さまに賛美と感謝のこころをささげたいと思います。
 では、また来週!


 


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。