神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。深い御憐みによって 背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。 あなたに背いたことをわたしは知っています。わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。(詩編 51(ミゼレーレ)・3〜6a) この祈りは罪を犯したダビデ王が憐み深い神さまへ赦しを願う叫びの一部です。この詩編は、神さまの赦しと「ゆるしの秘跡」の恵みの尊さを教えてくれます。 ふたりの目は開け、自分たちが裸であることを知り、ふたりはいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえて来た。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」(創世記 3・7〜9a) “身を隠す”とは、嘘をついて心の中を隠そうとすることです。“裸”という状態は神さまの前に「無垢」な姿でいることができなくなった ということです。神さまの前に生きる喜びを失い、不安に陥っている状態です。 実は罪の赦しを与えるキリストさまとの出会いである「秘跡」は三つあります。 神よ、わたしのうちに清い心を造り、あなたのいぶきでわたしを強め、新たにしてください。わたしをあなたのもとから退けず、聖なる息吹を わたしから取り去らないでください。 赦しは“新しい心”を取り戻す恵みで、神さまに向かって「父よ」と呼びかける資格をわたしたちに返してくれます。回心から生まれ、わたしたちにも人を“ゆるす力”を与えてくださる恵みですね。「罪の怖さ」を乗り越えて、神さまの前にいる喜びをいつも新たに味わうのです。 わたしたちが不忠実である度ごとに赦してくださるイエズスさまの恵み 「ゆるしの秘跡」を通して、いつも新たにされなければなりません。 わたしたちの救いは、十字架につけられたイエズスさまと同じように赦す恵みを知ることから生まれます。イエズスさまが先にわたしたちの罪の重荷を担ってくださったので、わたしたちも互いに罪の重荷、世界中の重荷を担い合う喜びを知ることになるのです。 互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ 6・2) イエズスさまの十字架上のお言葉に心に留めましょう。 [そのとき、イエスは言われた。「父よ、かれらをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」] と。(ルカ 23・34) 元気を出してよい旅を続けましょう!
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