ルカの福音の書に次の言葉があります。 さて、過越祭と言われている除酵祭が近づいていた。(ルカ 22・1) わたしたちにとってこの祭りはパスカ/Pascha(ほふられた小羊)、つまり主の死と復活の日を表わす言葉ですが、イスラエルの民にとって過越祭は、小羊の血を塗った神の民の家を死の天使が“通り過ぎた”ことを記念し、奴隷の国エジプトからイスラエルの民が解放されたことをお祝いする日でした。 神さまのこの御はからいは、すでにアダムとエバに伝えられています。(参照 創世記3・15)また、イスラエルの民の父であるアブラハムに神さまがお現われになって、その約束を次の言葉で新たにされました。 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷 父の家を離れて わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし あなたを祝福し、あなたの名を高める 祝福の源となるように。…地上の氏族はすべて あなたによって祝福に入る。」(創世記 12・1〜2、3b) 神さまの言葉を信じてアブラハムは出発し、砂漠の道に入りました。けれどもアブラハムには子どもがいませんでしたし、妻のサライは不妊の女でした。こうしてある夜、神さまはアブラハムに次の言葉で約束を新たにされました。 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。(創世記 15・5〜6a) わたしはこのエピソードが大好きです。夜空を眺める時の驚きと感動は世界中の人々が体験するものですが、アブラハムにとっては空が神の言葉を“語るもの”となりました。この四旬節の間、私たちも天を仰いで神さまの語られる“ことば”に目覚めることができたらなぁと思います。 わたしたちは、マリアさまの夫 「聖ヨセフ」の祭日(3/19)をお祝いし、「神のお告げ」の祭日(3/25)もお祝いしたところですが、そのときのマリアさまの 神さまのお言葉への承諾のおかげで、あらためて天と地が“一つ”になりました。この奇跡を可能にしてくれたのは、マリア様の「なれかし(フィアット)」でしたね。わたしたちの毎日の中にもこれが実現します。それを記念するのがミサですね。 ミサの式文を思い出してみましょう。奉献文に「心をこめて神を仰ぎ、賛美と感謝をささげましょう」(叙唱前句)と唱えるところがあります。続く奉献文の祈りは、天におられる父に向かってイエズスさまを通して、「聖霊の力」によって行われますようにと祈ります。こうしてわたしたちは、奉献文の祈りの後でふさわしく「主の祈り」を唱えてこう言います、「天におられる私たちの父よ…」 と。 天と地をつなぐこと…司祭が手を挙げて祈る理由もここにあります。さらに祭壇が高いところにある理由もここにあります。立ち上る香にもその意味があります。そしてもう一つのしるしは十字架ですね。ゴルゴタの丘で小羊としてキリストさまが屠られ、天と地をつなぐ いのちの泉となられました。 ご聖体拝領にふさわしい心の準備をするために「神の小羊、世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。」と祈りますね。さらにご復活の日の教会の典礼は、主の 死に打ち勝った勝利を次の言葉で表します。 アレルヤ アレルヤ 天と地をつないで実現されるわたしたちの救いを、アブラハムと同じように空を仰いで学びたいと思います。 主は星に数を定め それぞれに呼び名をお与えになる。(詩編 147・4) とあるからです。 わたしたちも空の星々と同じように神さまの大きな愛の中に生かされ、いつくしみ深い御はからいのうちにきっと生きることになるでしょう。その希望を持って復活祭に向かって進んでまいりましょう。 では また来週!
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