「わたしがあなた方に伝えたものは、 - 主任司祭メッセージ 5/1 -
使徒パウロのコリントの教会への手紙に 教会の信仰について次のように書かれています。 兄弟たち、わたしがあなたがたに告げ知らせた福音を、ここでもう一度知らせます。これは、あなた方が受け入れ、生活のよりどころとしている福音にほかなりません。どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。さもないと、信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。 使徒パウロのこれらの言葉は、わたしたちの信仰について最も大きなことを思い出させてくれます。それは、使徒たちが信じ、また彼らが伝えたことをわたしたちが“信じる”ことです。使徒たちが信じたこのことは、大きな出来事です。つまり、イエズス様が死んだ後復活されたことですね。 ほかの個所にパウロは次のように書かれます。 もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、その復活の姿にもあやかれるでしょう。わたしたちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。(ローマ6・5〜8) まさにイエズス様の死と復活の神秘をとおして、この世に“目で見えない新しさに満ちた生き方”が入った出来事ですね。 今日は教会の信仰がかたちをとるようになった経緯について、少し馴染んでみたいと思います。すでに前の文にあったようにパウロはコリントの教会の信仰のまとめを伝えています。(参照 Iコリント 15・3〜8)しかし今日紹介させていただきたいものは、リオンの聖イレネオ司教の言葉によるものです。彼は使徒パウロの100年ほど後、異邦人の世界であったフランスに教会の信仰を下記のように伝えました。 教会は地の果てに至るまで全世界に散らされていますが、使徒たち、およびその弟子たちから、「天と地と海とそこにあるすべてのものをお造りになった」唯一の神、全能の父(を信じます)。神の子で、わたしたちの救いのために受肉したひとりのキリスト・イエス(を信じます)。(また教会は)聖霊とに対する信仰を受け取って(いて)、この聖霊は預言者たちを通して、救いの営みのさまざまな出来事を宣言した。 この使信とこの信仰とを、先に述べたとおり教会は受け取っており、全世界に散らされてはいても、一つの家に住むかのように注意深くこれを守り、また一つの魂、一つの心をもつかのように、これらを同じように信じ、一つの口をもつかのように声を合わせてこれらのことを宣べ伝え、教え、伝達している。…(聖イレネオ司教『異端反駁』より) 最近パパフランシスコは、聖イレネオを「教会博士」に宣言されました。 教会の信仰を守る任務を与えられたのは聖ペトロであって、またそのペトロの後継者であるパパ様ですね。イエズス様の ペトロへのお言葉を思い出しましょう。 「…しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22・32) また来週!
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