「待ち望む心」を…
教会の歴史の中で昔から「待ち望む心」を表わすのは、天使たちに導かれて馬小屋を訪れる羊飼いたち、また星が導く博士たちなどです。 こうして、時計からイメージされた丸い形の輪を作り、12時、3時、6時、9時を示す太いローソクを飾り、その間に毎日を表す小さいローソクを飾っていたこともあったそうです。今は太いローソクが4本だけとなり、待降節の四週間を表しています。 これらの伝統は待降節の意味を表わすために生まれたものであって、その目的はわたしたちの救い主が来られることへの希望を起こし、それを待ち望む感覚(心)を育てるためです。待ち望む心の感覚を育てるにあたって、次の三つの段階を参考にしましょう。 1.まず、「救いへの望み」があります。一番大切なのは“望むこと”です。今の社会はいろいろなことを望んでいますが、“まことの”望みを知らないしまた興味がない、これが現実かなと思います。クリスマスは、人のまことの望みを満たす主だけがもたらす「救い」です。その救いを表わす言葉は「恵み(グラチア)」と言います。その恵みのしるしはミサの中で次のように表されます。わたしたちがささげものとするパンとぶどう酒の上に司祭は次の言葉で祈ります。 皆、これを受けて飲みなさい、これはわたしの血の杯、 つまり、救いへの望みはわたしたちの内に“自分をささげる心”をつくります。これこそクリスマスがもたらす救いのおくりものです。 2.次にキリストとの出会いのおかげでこの望みが芽生えてくれば来るほど、わたしたちの毎日の出来事に「キリストの救い」が訪れることになり、わたしたちは新しいいのちに生きることに目覚めます。消えて行くはかないわたしたちの毎日を永遠のいのちの糧にしてくださるのが、ご自分のいのちに加えてくださるキリストですね。この祈りもミサの中に次のようにあります。 主イエズスはすすんで受難に向かう前に、パンをとり、感謝をささげ、 3.最後に、キリストと一つになってその救いのうちに生きる者となったわたしたちはまた、キリストのいのちを「証する」ように呼ばれています。ミサでは派遣の言葉で記されています。 主は皆さんとともに。… わたしたちがキリストを証しすることを通して、クリスマスが皆に もたらされるものとなります。 待降節は、わたしたちがクリスマスへの「望み」を育て、クリスマスの救いに「あずかる」ように導きまたクリスマスをもたらし「証する者」としてくださるときです。 第二主日の第一朗読を参考にさせていただきます。朗読される預言者の言葉は、エルサレムが対象となりまた教会も対象となっています。そして救い主キリストの降誕を待ち望むわたしたちひとりひとりもその対象となっていると思います。 エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、 では、また来週!
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