「待ち望む心」を…
―主任司祭メッセージ 12/5―


 

 

 待降節は、来られる救い主キリストを「待ち望む心」を育てる季節です。
 しかし、わたしたちの社会が過ごすこの期間は、クリスマスの心を表わす神さまの愛のおくりもの キリストへの希望を商売のチャンスに変えていて、クリスマスの本当の心が見えなくなっている気がします。

 教会の歴史の中で昔から「待ち望む心」を表わすのは、天使たちに導かれて馬小屋を訪れる羊飼いたち、また星が導く博士たちなどです。
 アシジの聖フランシスコの望みで、グレッチョの教会で初めて、生身の人間と動物たちがその場面を演じましたが、その後はどこの教会でも、今と同じような馬小屋をつくるようになりました。
 最近、教会でみられるようになったクリスマスリースは、ドイツのプロテスタントの共同体(教会)の中から生まれ、そのうちにカトリック教会にも飾られるようになりました。その始まりはクリスマスプレゼントへの子どもたちの待ち遠しい気持ちがきっかけとなったそうです。きっとクリスマスの贈り物を楽しみにする降誕祭への子どもたちの期待がわかりやすく表わされているからでしょう。クリスマスまであと何日か…と、日本のお正月の歌「もういくつ寝るとお正月♪〜」と同じように…。
 ドイツで今も歌われている歌があります。
“待降節 光のローソクが燃える、1本、2本、3本、4本… もうすぐイエズス様がお生まれになる!”

 こうして、時計からイメージされた丸い形の輪を作り、12時、3時、6時、9時を示す太いローソクを飾り、その間に毎日を表す小さいローソクを飾っていたこともあったそうです。今は太いローソクが4本だけとなり、待降節の四週間を表しています。
 その輪を松の枝で飾る理由は、常緑が永遠の命を表すからです。またろうそくの色は「待ち望む心」を表わす紫ですが、待降節第三主日のバラ色は、“クリスマスがもうすぐ!”という意味を表します。そしてクリスマスを示す色は、光を表わす白ですね。

 これらの伝統は待降節の意味を表わすために生まれたものであって、その目的はわたしたちの救い主が来られることへの希望を起こし、それを待ち望む感覚(心)を育てるためです。待ち望む心の感覚を育てるにあたって、次の三つの段階を参考にしましょう。

 1.まず、「救いへの望み」があります。一番大切なのは“望むこと”です。今の社会はいろいろなことを望んでいますが、“まことの”望みを知らないしまた興味がない、これが現実かなと思います。クリスマスは、人のまことの望みを満たす主だけがもたらす「救い」です。その救いを表わす言葉は「恵み(グラチア)」と言います。その恵みのしるしはミサの中で次のように表されます。わたしたちがささげものとするパンとぶどう酒の上に司祭は次の言葉で祈ります。

皆、これを受けて飲みなさい、これはわたしの血の杯、
あなたがたと多くの人のために流されて、…わたしたちの救いの杯となるものです…。
 

 つまり、救いへの望みはわたしたちの内に“自分をささげる心”をつくります。これこそクリスマスがもたらす救いのおくりものです。

 2.次にキリストとの出会いのおかげでこの望みが芽生えてくれば来るほど、わたしたちの毎日の出来事に「キリストの救い」が訪れることになり、わたしたちは新しいいのちに生きることに目覚めます。消えて行くはかないわたしたちの毎日を永遠のいのちの糧にしてくださるのが、ご自分のいのちに加えてくださるキリストですね。この祈りもミサの中に次のようにあります。

主イエズスはすすんで受難に向かう前に、パンをとり、感謝をささげ、
割って弟子に与えて仰せになりました。
「皆、これを取って食べなさい。
これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。」

 3.最後に、キリストと一つになってその救いのうちに生きる者となったわたしたちはまた、キリストのいのちを「証する」ように呼ばれています。ミサでは派遣の言葉で記されています。

主は皆さんとともに。…
全能の神、父と子と聖霊の祝福が?皆さんの上にありますように。…
行きましょう 主の平和のうちに。

 わたしたちがキリストを証しすることを通して、クリスマスが皆に もたらされるものとなります。

 待降節は、わたしたちがクリスマスへの「望み」を育て、クリスマスの救いに「あずかる」ように導きまたクリスマスをもたらし「証する者」としてくださるときです。

 第二主日の第一朗読を参考にさせていただきます。朗読される預言者の言葉は、エルサレムが対象となりまた教会も対象となっています。そして救い主キリストの降誕を待ち望むわたしたちひとりひとりもその対象となっていると思います。

エルサレムよ、悲しみと不幸の衣を脱ぎ、
神から与えられる栄光で永遠に飾れ。
神から与えられる義の衣を身にまとい、
頭に永遠なる者の栄光の冠をつけよ。
神は天の下のすべての地に お前の輝きを示される。
お前は神から「義の平和、敬神の栄光」と呼ばれ、
その名は永遠に残る。
(バルクの預言 5・1〜4)

 では、また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。