クリスマスの神秘に心を開くことを
マリアさまから学ぶ
―主任司祭メッセージ 12/12―


 

 
 創造主である神さまは、“いのちを支える”ために二つの掟をおかれました。自然の中に働く掟は「強い者勝ち」(弱肉強食)ですが、もう一つは神さまが人をお造りになったとき、「ご自分にかたどって人をお造りになった」と書いてありますね。
(参照 創世記1・26)
 つまり神さまは、上(天)からのいのちの力によって人が生きるようにとお望みになりました。したがって、ようやく来られたイエズスさまは次のように教えられます。

「いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
人の子は仕えられるためではなく仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献さげるために来たのである。」
(マルコ 10・44〜45)

 つまり、人間の中に働くいのちを支える掟は二つありますが、わたしたちを神の子としてくれる掟は二番目です。イエズスさまはこう言われました。

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。
わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、
その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、
わたしの愛にとどまっていることになる。
これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、
あなたがたの喜びが満たされるためである。
わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。
これがわたしの掟である。
(ヨハネ 15・9〜12)

 不信仰のために神さまのみはからいに背いた人間を救うため、神さまはご自分を低くされ人間となられました。この愛こそ、わたしたちに救いをもたらす天からのおくりもので、クリスマスの贈りものです。信仰の恵みは、わたしたちに神さまのこころを返し、また神さまのいのちを返してくださる恵みですね。クリスマスに輝く光は、この信仰の恵みを表すものです。

 このこころをもたらされた主イエズス・キリストが、ご自分の母マリアに先に特権としてお与えになったことが「無原罪の御やどりの聖母」ということばで表現されています。この恵みのおかげでマリアさまはふさわしく、わたしたちをクリスマスの神秘に導くお方となられました。

 わたしたちの今日の社会にとって、キリストさまの救いはどれほど必要であることでしょう!こころの中で皆平和を求めながらも、キリストさまがもたらされた救いの恵みがなければ…。それは人のこころの中にいのちの神秘を怖れる傾きがあるからです。その怖れに打ち勝ち、いのちの神秘を迎え入れることを可能にしてくれるものが信仰の恵みなのです。
 こうしてマリアさまこそが、この恵みにこころを開くように導いてくださるにふさわしいお方です。お告げの時に、神さまのみはからいに心を開かれたマリアさまのお言葉を思い出しましょう。

マリアは言った。
「わたしは主のはしためです。
お言葉どおり、この身になりますように。」
(ルカ 1・38)

 実はどんなお母さんもこのいのちの神秘を怖れる傾きがありますが、同時にどんなお母さんの中にも恵みが働いていて、つらい試練を乗り越え子どもを産み育てる力が与えられています。更に信仰の恵みに自由に心を開いた人々だけが本当の“希望”を知り、いのちの神秘とともに歩む“喜び”をも知っています。これがまことの救いの恵みであり、すべての人の深い望み(あこがれ)です。

 今回わたしたちは、マリアさまに働かれた恵みに少し近づいて、来られるキリストの神秘にこころを開くことをマリアさまから学びたいと思います。

 1.お告げを受ける前のマリアさまの心を先ず思い出しましょう。マリアさまは救いを“待ち望むこころ”をもって、 希望をもって祈っておられました。
 2.お告げのときのマリアさまの“承諾のこころ”(神秘に開かれる心)を思い出しましょう。
 3.お告げのすぐ後にマリアさまはそのよい知らせをエリザベトに運ぶという“動き出す心の態度”を思い出しましょう。

 キリストさまがお生まれになるとき、人々の中に二つの態度が現れてきます。片方は眠っている人々、また目覚めても恐くなる人々です。もう一方は起きて待ち望んでいて、喜びに満たされる人々です。この人々は信仰に導かれて、クリスマスの神秘を迎え入れる人々のことですね。
 エリザベトもマリアさまに対してこう言われます。

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
(ルカ 1・45

 アウグスティヌスの言葉を思い出させていただきましょう。

「あなたの承諾なしに あなたを創造された神さまは あなたの承諾なしに あなたを救うことはおできになりません。」

 先日パパ様は、現在の難民問題についてマリアさまのこころから学んで、時間をおかないで苦しんでいる人々 特に子どもたちを迎え入れるようにと言われました。信仰は慈しみであり、あわれみです。
 キリストの愛は信仰の奇跡であり、クリスマスのおくりものです。

 また来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。