知恵(神)はご自分の家を建てられた
ご変容のとき、普段のイエズスさまが栄光の姿に変わられてそのあまりのすばらしさに、ペトロは言いました。 「先生、わたしたちがここにいるのは、素晴らしいことです」と。(マルコ 9・5b) そしてペトロはそこにずっと留まっていたいという気持ちを表します。先日NHKドキュメンタリーで五島のいろいろな教会の紹介をみた時に、このエピソードを思い出しました。まさしく教会は神の家だと感じて、自然と祈ることができる場所だなと感じました。 実はこれがクリスマスをくださった神さまのお望みでもあります。わたしたちのうちにお生まれになったイエズスさまは、わたしたちを“ご自分の家族にする”というプレゼントをくださいました。きっとこういう理由で教会には祭壇のそばにご聖体が置かれ、その右と左にマリア様とヨセフ様のご像を置くしきたりが生まれたのでしょう。つまり、わたしたちを神の家族にしてくださった神さまからのプレゼントを表すために。 使徒パウロはイスラエルだけでなく、イスラエル以外の世界中の人々もこの家族の一員として呼ばれていることを次のことばで記しています。 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。 つまり聖霊によって人間としてマリアさまからお生まれになった神さまは、もはやわたしたちのうちにその住まいを置かれ、世界はイエス・キリストのうちに新たに創造され「神の家」となりました。 言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(ヨハネ 1・14a) とあって、皆が神の子のいのちにあずかることができるようになりました。 この神さまの御はからいに合わせて、教会はクリスマスの八日目に(一年の始まりでもありますが)、わたしたちは「神の母聖マリア」をお祝いし、神の家族として生きるための希望を与えられ、神の愛のうちに生きることを願うのです。 コロナの影響でまだ苦しんでいるわたしたちですが、この苦しみを乗り越える希望と神さまの愛が身近におとずれているという確信が与えられ、神さまの愛を知ることからくる喜びが与えられますように。
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