知恵(神)はご自分の家を建てられた
―主任司祭メッセージ 12/26―


 

 ご変容のとき、普段のイエズスさまが栄光の姿に変わられてそのあまりのすばらしさに、ペトロは言いました。

「先生、わたしたちがここにいるのは、素晴らしいことです」と。(マルコ 9・5b)

 そしてペトロはそこにずっと留まっていたいという気持ちを表します。先日NHKドキュメンタリーで五島のいろいろな教会の紹介をみた時に、このエピソードを思い出しました。まさしく教会は神の家だと感じて、自然と祈ることができる場所だなと感じました。
 
しかし教会の建物もご降誕をもたらされた“神さまの真実”のしるしにしか過ぎませんね。けれどもこの真実は、わたしたちのうちにいつも存在しています。ただ見るためには、新しい目、子どもの目、信仰の目がわたしたちに必要ですね。世界中の皆がこの目を持っていたらどんなに素晴らしいことでしょう。きっとわたしたちは「新しい世界」に生きることになるでしょう。

 実はこれがクリスマスをくださった神さまのお望みでもあります。わたしたちのうちにお生まれになったイエズスさまは、わたしたちを“ご自分の家族にする”というプレゼントをくださいました。きっとこういう理由で教会には祭壇のそばにご聖体が置かれ、その右と左にマリア様とヨセフ様のご像を置くしきたりが生まれたのでしょう。つまり、わたしたちを神の家族にしてくださった神さまからのプレゼントを表すために。

 使徒パウロはイスラエルだけでなく、イスラエル以外の世界中の人々もこの家族の一員として呼ばれていることを次のことばで記しています。

キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。
したがって、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。
 そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。キリストにおいて、あなたがたもともに建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです
(エフェソ 2・17〜22)

 つまり聖霊によって人間としてマリアさまからお生まれになった神さまは、もはやわたしたちのうちにその住まいを置かれ、世界はイエス・キリストのうちに新たに創造され「神の家」となりました。
 
イエズスさまがもたらされたこのプレゼントによって、新しい民族でもなく、新しい国でもなく、新しい宗教でもなく…わたしたち皆を“ご自分の家族”にしてくださったのですね。
神さまのもとにあるいのち(愛)を身近なものにするために、わたしたちのうちに神がご自分の家を置かれました。

言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。(ヨハネ 1・14a)

とあって、皆が神の子のいのちにあずかることができるようになりました。

 この神さまの御はからいに合わせて、教会はクリスマスの八日目に(一年の始まりでもありますが)、わたしたちは「神の母聖マリア」をお祝いし、神の家族として生きるための希望を与えられ、神の愛のうちに生きることを願うのです。
 お正月に皆が祈るいのり… 神さまがこの祈りを引き受けてその愛の御はからいに目覚めさせ、皆が神の家族の一員に呼ばれていることを知ることができたら、と思います。この祈りが実現されますように。

 コロナの影響でまだ苦しんでいるわたしたちですが、この苦しみを乗り越える希望と神さまの愛が身近におとずれているという確信が与えられ、神さまの愛を知ることからくる喜びが与えられますように。

 

このメッセージが今年最後になりましたが、ここで、ことに身体の不調で教会まで足を運ぶことができない皆様、教会であるわたしたちは、キリストのもとでいつもあなたがたと一緒に祈っています。

 皆様が神さまの大きな愛の御はからのうちにとどまり、慰めと平和が与えられますようにご一緒に神さまの祝福を祈りましょう。

 全能の神、父と子と聖霊の祝福が 皆さんの上にありますように アーメン。




 


ではまた!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。