古い根っこから若い枝が芽生えた
―主任司祭メッセージ 1/9―


 

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる

(イザヤ 11・1〜2a)

 クリスマスにお生まれになった救い主イエズスさまに出会うための道は、信仰の道です。信仰はしるしを読み取る力です。羊飼いたちにとってのしるしは天からの光とその光の中から聞こえてきた天使の声でした。博士たちにとってそのしるしは星でしたが、どちらもそれがきっかけとなり、決心して旅に出ました。新しい年の始まりにあたって、わたしたちも神さまのことばを信じて歩き出したいと思います。神さまの大きな愛を信じて…。そしてそのことばによって冒険に挑み、神の子どもの心をもって、いのちの神秘の中に…。

 聖家族の祝日に読まれた福音の書のイエズスさまのマリアさまへのお言葉を思い出しましょう。

すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り両親に仕えてお暮しになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。
(ルカ 2・49〜51)

 マリアさまヨゼフさまがイエズスさまと共に、神さまがくださるいのちの神秘の中を歩まれたように、わたしたちも歩んでいきたい。イエズスさまのもとで、天と地、自由と従順、神さまと人の間に新しい調和が生まれました。イエズスさまのもとで実現された調和の神秘を信じて、わたしたちのうちにも新しいいのちが芽生え育てられますように。

 典礼の流れで言えば、クリスマスの季節である「降誕節」と「年間」をつなぐ三つの出来事があります。それは「主の公現」「主の洗礼」「カナの婚礼」のエピソードです。
 「主の公現」はイスラエルだけでなく“世界中の人々の前に”お現われになった「救い主」であるキリスト。
 「主の洗礼」はイエズスさまが“メシア”であることが天からの声によって示されたこと。
 「カナの婚礼」は“水がぶどう酒に変えられた”奇跡によって、イエズスさまが弟子たちにメシアとしてお現われになったこと。
 これらのエピソードは、人類を救いに導くしるしとしてキリストの福音(Good News)となっています。博士たちへのしるしは“星”、主の洗礼の時のしるしは“天からの声”、カナの奇跡では“新しいぶどう酒”がそのしるしとなりました。
 わたしたちを救いに導く道はこの三つの段階で成り立っています。博士たちと同じようにしるしをみて“出かけること”、天が開き神の声を聞いてキリストの神秘に“目覚めること”、最後はわたしたちが信仰の光によってこの地上で神の家族であることを“味わうこと”、新しいぶどう酒のしるしがこれを教えてくれます。

 クリスマスを祝う皆様とともに、その喜びのうちに心から新しい年の上に神さまの祝福を祈りたいと思います。

 

 今年は、ことに百合ヶ丘教会にとってマリアさまの心を願うのにふさわしい年だと思います。
 お告げのとき、マリアさまは神さまのみ旨を承諾し、未知の世界に心を開かれ、信頼と愛をもって毎日を迎え入れ従っていかれました。そのおかげで救いに満ちた新しい世界が生まれ、神の母となられるとともに、教会の母ともなっておられます。

イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、
母に、「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」
そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
(ヨハネ 19・26〜27)

 ご一緒に新しい年の歩みをマリアさまにお委ねしたいと思います。主の平和を祈って…。



 


ではまた来週!


カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。