神が結び合わせてくださったもの
―主任司祭メッセージ 1/23―



 

「…天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。したがって、神が結び合わせてくださったものを人は離してはならない。」(マルコ 10・6〜9)

イエズスさまの結婚についてのこのことばの理由(わけ)は、もともと創造主である神さまの次のことばに原点があります。

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記 1・27)

 つまり創造されたもののなかで、人間だけが神さまにかたどって造られたものですね。それは、「神は愛」(Jヨハネ 4・16)であるからです。神さまの愛は人間のうちにだけ宿るものです。
 
また同じ理由で、人間だけが愛に結ばれた家族の中に生まれ、その泉から愛を汲んで育てられ、愛にとどまって生きることを学びます。
 
教会もイエズスさまにしたがって、神さまの愛にとどまり、わたしたちを神さまの家族として育て、神さまを父と呼ぶことを教え導きます。
 
こうして、教会は結婚を特別に心にとめ初めから大切にしてきました。教会はカトリック教会のカテキズムに次のように教えています。

性的特質は夫と妻による夫婦愛のために向けられています。結婚における夫婦の肉体的交わりは、精神的交わりのしるしならびに保証となるものです。受洗者同士の結婚のきずなは、秘跡によって聖化されます(カトリック教会のカテキズム2360)

 またカテキズムは聖ヨハネパウロ二世の言葉を借りて次のように言います。

「男女が配偶者のみとの限られた固有の行為を通じて自分を互いに与え合う性は、決して生物学的なものではなく、まさに人間のもっとも深い存在そのものにかかわるものです。性というものが、死に至るまで男女が互いに自分のすべてをささげ合う愛の統合された部分であるなら、それはまことに人間らしい仕方で実現されているのです」。 (カトリック教会のカテキズム2361)

 前に言わせていただいたように、実はすべての人が結婚に呼ばれているわけではありませんが、みんなが神にかたどって神の愛に生きるように呼ばれています。
 
この教えに基づいて、わたしたちの中の結婚に呼ばれていると思われる人々に対して、いろいろ大事なポイントが出てきます。

1.教会の結婚についての考えをよく知ること。つまり、結婚について信仰が何を教えているかということですね。またそれを前もって知ることです。こうして、人が結婚への呼びかけについて考え始めるとき、家族の中でよく話し合い、具体的になれば正式に教会に相談しなければなりません。神父様に結婚の申込書を出すときには、教会での結婚について確認する―ことに、その結婚が可能であるかどうか、またどのように準備していくか―が大切です。

2.結婚講座として知られている教会の教えを学ぶこと、これは結婚への準備に欠けてはならないものです。また結婚式の式次第についても学びます。

3.教会は、教会の教えに基づく結婚以外は認められないので、前もっての入籍とか教会以外の式などはあってはいけません。結婚に当たって一般社会の考え方はいろいろありますが、教会は信仰の教えだけを大切にします。

4.結婚への準備の根本は、夫婦愛についての信仰の教えを理解することです。たとえば神さまの前で互いに忠実であること、神さまの御はからいに従って互いに愛を表わすこと。こうして、新しい命を迎え入れ育てるためのふさわしい場所を作る使命を果たすことができるのです。

5.結婚式は歩みの始まりで、夫婦は歩みを支えるための糧によって支えられ、エウカリスチアなどの秘跡にあずかり、教会の奉仕を通して結婚の恵みを生かし、その愛を実らせます。

 結婚から始まる家族についてカテキズムが次のことを教えてくれます。
家族のきずなは重要なものですが、絶対的なものではありません。子供が成熟と人間的・精神的独立とに向かって成長していくのと同じように、その子供に対する神からのそれぞれの召命もより明確に、より強く固められていきます。両親はわが子の召命を尊重し子供たちがそれにこたえることができるように助けるべきです。キリスト者の第一の召命はイエスに従うことである、と確信しておく必要があります。「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない」(マタイ10 37)(カトリック教会のカテキズム2232) 
 さらに、
イエスの弟子になるということは、神の家族に属し、イエスの生き方に従って生きるようにとの招きを受け入れることです。「だれでも、天の父のみ心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(マタイ12・50
 このために、次の言葉が続きます。
両親は、わが子のうちのだれかに、神の国のための独身、奉献生活、あるいは司祭職という身分でご自分に従うようにという主からの呼びかけがあれば、それを受け入れ、喜びと感謝をもってその召命を尊重しなければなりません。(カトリック教会のカテキズム2233)

 神さまからの結婚の呼びかけに応えて家族となったみなさまに感謝するとともに、その愛をいっそう燃え立たせてくださるよう主に祈りたいと思います。

 ではまた来週!

カトリック百合ヶ丘教会主任司祭 マリオ・ビアンキン

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* 典礼用に、日本の司教団は「新共同訳」の聖書を使うように定めています。
ここに載せる聖書は、「新共同訳」の聖書です。